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「天路の旅人」 沢木耕太郎さん著:密偵が残した足跡から学ぶ、文化と人間の姿

こんなに美しい人がこの世にいるのか…と、思った。

NHK「クローズアップ現代」に沢木耕太郎さんが出演されているのをたまたま観て、ピンときた。今の自分に、必要な本だと。

大作を書き終えた満足感からか、非常にすっきりとした表情を見せながらアナウンサーの質問に答えていた、沢木さん。構想25年の大型ノンフィクション「天路の旅人」が出版されたのだ。沢木さん自身が長い旅を終えた後のような表情だった。男性であり、おそらく拝見した時は、75歳かー。人として美しく、透き通った方だなと思った。

間違いなく、自分がこの歳になったときにはこんな人にはなれないだろうと感じた。きれいな空気を吸いたいと思うのと似た感じで、早く本の中を覗きたくなった。

なんとなく本屋で買いたくて、翌日、本屋に行った。実物を見たら、思ったよりも分厚くて、しかも2,640円という価格だった。さすがに構想25年、9年ぶりの大作だ。読みきれるかどうか一瞬不安になりながらも、えいやとレジに持っていった。

読み始めたら、ワクワクが洪水のように胸の中を満たしていった。面白くてしょうがない。

物語の主人公は、西川一三さん。日中戦争中にモンゴルからチベット、インドと渡り歩いた日本人の密偵。つまり、スパイ。スパイとは言うものの、西川さんの旅では拳銃をバンバン打ったり、爆弾を仕掛けたり、盗聴したりというシーンはほぼゼロに近いほど、無い。モンゴルから出発し、ラマ僧に扮して各地の村や廟と呼ばれる修行僧たちが集まる場所を転々とする。その中で色々な人と出会い、その国や地域のことについて確認していく。

本は、著者である沢木さんと西川さんが日本で対話していた日々の話から始まる。取材のような形で二人は何度も会っていたそう。密偵だった頃の西川さんは、27代半ば。沢木さんと対話していたときは、帰国後もう何十年も経ち、歳はおそらく70代、日本で暮らしていた。1967年に、西川さん自身が密偵時代を書き記した本も出版されているが、今回出版された「天路の旅人」では、当時カットされた部分や誤植のあったところを加筆・修正して書かれている。より信頼をおける形で読めるのだ。

沢木さんをテレビで見たときと同様、西川さんという人の性質にも驚いた。淡々という言葉そのまま、石のように淡々と、欲張らずに、静かにひたむきに働き続けた方だった。一年で元旦の1日しか休まない。それ以外の364日は毎日同じスケジュールで働き続ける。西川さんという人がそういう境地に達したのには、きっと旅で感じた何かがあったからに違いない。

西川一三さんの密偵としての旅には、学びと気付きが多かった。小説でありながらも、自己啓発されるような読書になった。人が人として、人間らしい生活を営める状況にあること、それの尊さ。野宿を繰り返して久しぶりに屋根のある部屋で眠れた時の、感動と安堵。食べるものがある、幸福。そういったひとつひとつの当たり前の幸せを噛み締めながら読むということが、禅に近いような体験になり心が静かになった。

何百キロという距離を峠を超えながら徒歩で移動する、修行僧。道の途中、人の死体が放置されているシーンもあった。旅の過酷さと重なる栄養失調に、体がもたなかったのだ。当時のその地域の修行僧や村人たちは、そういった旅が仕事であるかのように繰り返し行っていた。

ある地域では、街で購入したものをまた違う街で売り、その差額で出たお金でまた商品を買い、違う街で売る。そんなふうにして生計を立てている人もいた。買って移動して、また売る。それが仕事の人たち。移動そのものをし続けないと生きていけない人生とは、どんなものだっただろう。

読みながらふと思った。日本で天狗と言われるものたちについて。どこかで読んだことがあるが、確か天狗も修行僧だった説がある。ひょっとして西川さんのような方たちが、どこかで天狗と呼ばれるようになったのではないだろうか。

そう考えると、西川さんが行ったような旅を知ることは、現代に通ずる文化や童話、むかし話を読み解くために重要なヒントとなるのかもしれない。ファンタジーとしても語られる天狗や河童。彼らと現実とが交差するところの、実際はこういうことがありましたというお話が、むかしの修行僧たちの足跡の中にあるのではー。そう思うと少しゾクゾクと鳥肌が立つような感覚をおぼえた。

西川一三さんが帰国後に感じた日本人に対する違和感が、最も重要な気がした


もっとも心に留めておきたいと思ったところは、西川さんが日本に帰ってきたとき、日本人に対して感じた違和感。出国前と後では全く違い、米人と仲良く暮らしていた日本人。通りゆく人はもう着物も袴も着ていないし、浦島太郎状態という形容の仕方が分かりやすいかもしれないが、実際に当時の日本人を見た人間の感触として、リアルな心境が書かれていた。「人間らしさが失われていた」という表現で書かれていたが、西川さんは、進駐軍と仲良く暮らしていた日本人に強烈な違和感を感じたそう。

当時、戦前戦後に居合わせた人たちは、そんなふうに感じていたのだろうか。いったい、日本人は戦争で何を失くしたのだろう。確かに、戦前の、着物を着て厳かな雰囲気を一定保っていた日本人を想像すると、"洋服"という新しい衣服を着、欧米人とも仲良くやっている日本人は、少し引いた目で、しかも変化の過程を飛ばしてぶつ切りに見ると、かなり変化した印象を受けたかもしれない。日本人らしさを失ったような気が、したかもしれない。

その失ったものを、戦後に生まれた私はおそらく、知らない。それを知らずに生きてていいのだろうか。果たしてどうやって日本人を生きたらいいのだろう、自分は。そんな疑問が自分の中に生まれた。

西川さんは密偵だったので、日本人であるということを隠しながら足掛け8年間もモンゴル・チベット・インド周辺を旅した。しかし各地の住人は、相手が自国の人間ではないかもしれない、得体のしれない相手と分かりながらも、その場でその人が誠実な人だと分かれば、親切にする。旅先でもっとも役立つものは、誠実さだった。本の中でも吉田松陰と孟子のことをあげながら書いてあった。誠実であること、「至誠」は、お金もなく言語も通じない世界では、一番大事な武器となるのかもしれない。

誠実さ。最近の自分はそんなものはどこかに忘れてきて、打算や邪推ばかり。これではいけないなと思う。本の最後の章を読みながらコメダ珈琲の天井を見上げ、ぼうっとそんなことを思いつつ、この本を読み終えた。

hanata.jp


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