海から来たチョコレート
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海から来たチョコレート

中学生の姪っ子のときちゃんが好きな男の子にチョコを作るから教えてと家に来たのは、ヴァレンタイン・ディの2週間前の事だった。

別に私はショコラティエでもなければ、パティシエでもない。家でお菓子を作ることだってほどんどない。それなのに、ときちゃんはエプロンと何冊かのレシピ本と一緒に数泊分の着替えを詰めた小ぶりのスーツケースを引きずって家にやって来た。

「ときちゃん、私、お菓子作れないよ。」

「知ってるよ。だから一緒に作ろう。それで、みのりちゃんも好きな人にあげよう。今日から特訓だよ!」

ときちゃんは、さもビッグプロジェクトが始まるというかのように、チョコ作りに関して熱弁を繰り広げ、ヴァレンタインに好きな子にチョコをあげることにどんな意味があるのかを延々と私に説いた。ときちゃんが饒舌になる時は、決まって何か気まずい事がある時だった。これはただの家出だなぁと思いながらチョコレートとヴァレンタインの関係を熱弁するときちゃんを見ていると、不意にときちゃんが聞いて来た。

「みのりちゃんは誰にあげる?」

その時にパッと頭に浮かんだのは、付き合っている彼氏ではなく、違う男性だった。近所の公園でよく会う犬の散歩をしている冴えないひょろっとした男性で、ひょんな事から話すようになり、会えばこんにちは。と挨拶をかわし、少し世間話をするという程度の人。知っているのは犬のことばかりだった。 


しかし、全く知らなかったのだが、ときちゃんは多分お菓子づくりの才能がある。家にあったのは、あまり大きくないボールとゴムヘラくらいなのに、なぜかとっても綺麗なチョコレートを作った。味もものすごい美味しい!という訳ではないが、中学生の女の子が作ったと思うとなかなかのものだった。そのチョコレートは貝殻の形をしていた。ホームセンターで買って来たといういわゆる帆立貝のような形の型を使って、直径三センチくらいのその貝殻のチョコを、ときちゃんはヴァレンタインまでの2週間の間、ほぼ毎日せっせせっせと作った。そして、ついに明日が本番という日に、目的も終え家族と仲直りも済ませていたときちゃんは家に帰ると言い、自分の分のチョコをカバンに詰めると、大量の貝殻のチョコを置いて帰って行った。

残された貝殻のチョコを見ながら、「みのりちゃんは誰にあげる?」という、ときちゃんの言葉がぐるぐると頭を回り始めた。

そして、ヴァレンタイン当日、私は貝殻のチョコをガサッと紙袋に入れ、彼氏のところではなく、公園へ向かった。あの男の人に会えるかは分からなかったけど、とりあえず、公園に行ってみようと思ったのだ。

だけど、大体いつも同じ時間に犬を連れて歩いているその人は、その日、目の前に現れなかった。かなり長い時間公園にいた。要は、立ち上がるタイミングを逃したのだ。ベンチに座り、体が冷え切って、限界をとうに越して、二度と立ち上がれないんじゃないかと思い、しかしそれも超えて、若干、ナチュラルハイな状態になってきた時にやっと立ち上がった。

仕方ない。どこかでお茶でも飲んで、家に帰ろう。そう思った時のことだった。

身も心も冷え切ったその時に現れたのは、彼氏でもなく、チョコをあげようと思った人でもなく、なんと高校の同級生だった。3年間クラスが一緒だったけど、話したことは本当に数えるくらいしかない。そんな同級生の吉田くんだった。

「久しぶり。みのりちゃん。」

吉田くんは、まるで先週も会ったかのように自然に話しかけてきた。会社の飲み会帰りでちょっと酔っ払っていた吉田くんと寒さと疲労でハイになっていた私は近所の立ち飲み屋さんで一緒にお酒を飲んだ。高校の頃のしょうもない思い出話をつまみに楽しく飲んで、最後に貝殻のチョコを吉田くんにあげた。吉田くんはにっこり笑って、「嬉しいなぁ。ヴァレンタインにチョコを貰うのは久しぶりだ。」と言って貝殻のチョコを一粒口に入れた。すっかり酔っ払っていた私は、笑顔で吉田くんにこう言った。

「ホワイトデーのお返し、期待しているよ。」

そしたら、吉田くんは笑って、デートでもしようかと言った。


ホワイトデーは暖かな日だった。朝から雲一つない空が広がっていて、風も穏やかで、春物のジャケットさえいらないような暖かさだった。吉田くんはキャンディーと花束を持ってやって来て、私にキスをした。

人生は分からないものだ。こんな気持ちの良い日に高校の時の同級生と手を繋いで歩いているなんて。1ヶ月前には想像もしていなかった。あのチョコがすごく美味しかったという名目で酔っ払った吉田くんは私のことが大好きになった。あのチョコは姪っ子が作ったんだと言ったけど、吉田くんはもうそんな事はどうでもいいみたいに愛おしそうに私を見るだけだった。恋に落ちるということは、そういうことなんだろう。そして、私は、この恋の種はずいぶん前に蒔かれたのに、ちゃんと花を咲かせたということに静かに感動していた。人生って本当に分からない。


そして、4月になったある日、ときちゃんがまた急に訪ねて来た。休みの日で、吉田くんも一緒にいた。ときちゃんは一人でなく、すらっとした男の子と一緒に来た。

「こちらシオン君。つきあっているの。」

ときちゃんはそう言った。シオン君はインド人と日本人のミックスで、とても目鼻立ちのはっきりとしたかっこいい男の子だった。

「みのりちゃん、私たち、海に行きたいの。今から連れて行ってくれる?」

これまた急だなぁと思ったけど、特に予定のなかった私たちはレンタカーを借りて海へと向かった。海は私たちの住む町から大体一時間半くらい。車の中で私たちはお互いに順番に質問をしようと言って、くだらない質問から、ちょっと際どい質問までして海に着く頃には、友達と言っても良いくらいに仲良くなった。

海に着くと、ときちゃんとシオン君は中学生らしくはしゃぎ裸足になって海へ向かって走って行った。吉田君はずっとニコニコと笑っていた。

「まさかあの貝殻のチョコを作った子にこんなに早く会えるとは思わなかったよ。あとできちんとお礼を言わないと。」

そう言って、優しい顔でときちゃんたちを見た。

「そう言えば、覚えている?この海で僕たち初めて話をしたんだよ。」

吉田君にそう言われて、私は急に照れ臭くなってしまった。実は車の中で、その事を思い出していたからだ。この恋の種が蒔かれた日だ。


高校生の時、学校の何かの行事でこの海に来ていた。みんな今のときちゃんたちのようにはしゃいで裸足でそれぞれに海と戯れあっていた。でも、私はその日、朝から本当に具合が悪かった。風邪かもなぁと思いながら、なるべく人のいない岩場のすみに座って、ぼんやりと海を見ていた。

「何してるの?」

急に上からそう聞かれて、私はビクッとなった。声の方を見上げると、吉田君が足元を確認しながら降りてきて、隣にストンと座った。頼むから一人にしてよと心の中で思いながら、海を見てため息をついた。

「何もしてないよ。」

本当に何もしてないので、そう言うしかない。

「てっきりそのまま飛び込んじゃうのかと思って。」

吉田君はなぜか照れたようにそう言った。この人は何を言っているのだろうか?と思いながらもう一度、今度は大きめのため息をついた。

吉田君はちょっと気まずそうにしたけど、まだそこにいた。まだいる。と思ったけど、しばらく二人で海を見ていたら、別に気にならなくなってきた。吉田君はポツポツとどうでもいい事を話した。私はほとんど返事をしなかったけど、吉田君は気にしていないようだった。

「そろそろ集合時間だ。」

吉田君がそう言って立ち上がった。そう言われたら、私も立たない訳にはいかない。長い時間座っていたから、立った時に少しフラついた。そしたら、吉田君がサッと手を出して、私の腕を握った。ありがとう。と言うと、うん。と言って、そしてなぜか、反対の手を出すと、私の手を柔らかく握った。

吉田君の手は大きくって、がさっとしていた。心臓がドクンと鳴った。吉田くんの手から、何かが私の手に落とされた。ほんの少しの間手は握られたままだった。そして、吉田君はため息をつくと手を離し、行こうか。と言った。

まだ具合の悪かった私は、帰りのバスですっかり眠り込んで、その事は全て夢の中の出来事のような気がしていた。でも、手を握られた時、私の手の中に残された小さな貝殻は学校に着いてもまだ手の中にあった。


海を見ながら、あの日、吉田くんが握った私の手は一体どんな感触がしただろうかと、若かりし日の吉田くんのがざっとした手の感触を思い出しながらそう思い、吉田くんの手を握った。

「あの時、私が風邪引いて具合が悪かった事知ってた?」

今更だけど、あの日のふてぶてしい態度の訳を知って欲しくてそう聞いた。

「いや、全然分からなかった。ただ嫌われているんだなぁと思っただけだったよ。なんだそうだったのか。」

吉田くんは相変わらず優しい目で私を見ながらそう言った。

あの頃、吉田くんを好きだった訳ではないけど、なんだかすれ違ったような気分になって、少しだけ勿体無いような気がした。

でも、きっとあの時のあの淡い想いを無理に形にしていたら、今、こうして4人で海にはいないだろうなと思った。無理にことを進める必要はないのだ。全ては完璧に進んでいる。蒔かれた種はいつかその時が来たら、芽を出すのだ。


あの時、吉田くんが私の手に残した貝殻は、今はときちゃんが持っていた。その貝殻は欠けたところが一つもない、綺麗なピンク色の桜貝で、なんとなく小さなガラスのビンに入れて部屋に置いていた。ずっと置いていたので、もう部屋の一部のようになっていた。ある日、遊びに来たときちゃんがどうしても欲しいと言うのであげた。ときちゃんは大切にするね。と言い、本当に私以上に大切にしてくれた。ときちゃんは、可愛い小さなケースに貝殻を入れいつも大切に持ち歩いていた。

そして、ときちゃんは好きな子にチョコレートを作る時、あの桜貝を思い出して、それをイメージして作ったと言っていた。貝殻のちょっと塩の効いたチョコレート。それはときちゃんが作った。私は作るのを見ていただけ。そして、それは吉田くんのもとへと帰っていった。

あのチョコレートはこの海から来た。高校生の吉田くんがちょっといいなと思っている女の子にあげようと、この海で拾った貝殻から出来たチョコレート。そのチョコレートのおかげで、私たちは、今、笑ってここにいる。

幸せでやさしい気持ちで。

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石井真秀子

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「まほこさんのはなし」です。小説家・古本屋の石井真秀子が、日々のことと、もう一つの日々のことを書いています。 HOOKBOOKSと石井真秀子のHPはこちら→「MAHOROBA・まほろば」https://mahoroba.one