【劇場版ゆるキャン△】ゆるさ、そして毒【感想】



公開から1ヶ月ほど経ちました、2022/8/1。映画「ゆるキャン△」見て参りました。本当はもう少し早めに行くつもりでしたが、北海道に旅行に行ったりなんだりでこのタイミングとなりました。

わたくし普段、色んな映画を観るタイプの人間でして、映画というジャンルに関してはやや目が肥えているといっても過言ではありません。下記のyoutubeチャンネルにお邪魔して辛めの感想を言うこともあります。

……が、今回の映画に関してはもう、まったく身構えずに行きました。
映画としてどうかエンタメとしておもしろいか、みたいな視点は焚き火にポイッチョです。野クルメンバーとキャンプに行くつもりというか、あるがまま「ゆるキャン△」という作品内に流れるゆるい時間に身を浸すつもりで見ました。
結果は、それで大正解。くぁいい女の子たちの、当たり障りない会話を、雑味なく楽しめました。一方でそれとなく仕込んである「大人への毒」をどう味わったか、で各人の感想が変化するのではと思いました。

さて。わたくし「ゆるキャン△」に関してはアニメ版のみ履修です。
それとの比較になるのですが、アニメが「キャンプの体験、楽しさ」・「仲間や出会った人との交流」・「くぁいい女の子」を描いた普遍で不変な日常モノとするならば、映画版はそれらを維持したまま一歩先へ進みました。
その一歩こそが前述した「大人への毒」なのですが、ざっくり言うと「変わってしまったものへの寂しさ」です。

映画では主要キャラたち、なでしこ・リン・千明・あおい・恵那ちゃん5名は社会人として生活しています。
……なんかもうこの設定だけで受け入れられないオタクもいるらしいとか何とかいう記事を読んだのですが、その気持ちも分からなくもありません。
千明、あおいは山梨で地方公務員。なでしこは東京でアウトドアショップ店員、リンは名古屋で雑誌記者、恵那は横浜でペットトリマーと……。
みんな若いながら興味のある仕事に就けてるわけで、そんな成功の様子を見せつけられる〝上手くいかなかった大勢〟にはチクリとくるかもしれません。私もその一人です。
ただ私はボンヤリとその毒をもらっただけで、ゲンナリするどころか「大人リンちゃん、なでしことおそろのショートヘアー!?」「千明ちゃん酒クズ解釈一致です」「は?千明ちゃんリンちゃん距離感近くない? は? 千明×リンもうまいぞなもし?」「イヌコも千明もどうして片側の髪を肩のとこに垂らすんだえっちだぞ」「桜姉さんと大人リンちゃんもっと絡め」「なでしこの元カノと元カノ」「バイクぶん回してる時のリンちゃんカッケェよな、わかる……」など、それぞれの大人設定を満喫しておりました。

仕事があって疎遠になっていた同級生5名(映画開始時点では、2~3年前にキャンプしたのが顔を見た最後とか。なんともリアルな数値……)ですが、
千明ちゃんの「キャンプ場作り」案件に参加する形で、再び集合するようになります。
といっても、週末だけとか平日集まっても3人とかやっぱ社会人っぽい頻度です。週末戦士!とかなんとかコミカルに描いてるので、かなり生々しさは薄められていますけど。
もっと言うなら、仕事でくたくたになった週末に、わざわざ2~4時間かけて帰省して重労働しますか?って話ですよね。しかもほぼ毎週。私はちょっとマネできないかな……。
だからってね「仕事があるから手伝えないわ、ゴメン千明」ってならないのが「ゆるキャン△」ですよ。
社会人のリアルなんて、誰もそんなもんは見たくないんです。忙しいとか、めんどくさいとか、ごめんとか、ちょっと付き合い考えようかな……みたいな。仕事とか人間関係の煩わしいリアルを見に来てるワケじゃない。
彼女らの変わらない友情と、キャンプと、幸せな食事風景を見にきてるんです。アニメも、そして映画ゆるキャン△もしっかりそこを弁えていました。
かつて同じ夏を楽しんだ同級生と、社会人になってもまた仲良く、しがらみなく集まって遊んで、笑い合える。
そんな些細で、贅沢な幸せが、あってもいい。
ゆるくて、優しい世界があってもいい。
いいのです、ゆるキャン△には。

ゆるキャン△ is ストレスフリーなアニメ

私はまずここを伝えたいです。
激しく情緒を乱すことがない。まさに友達と焚き火に囲んでいる時ような、温かで穏やかな気持ちになれるアニメなのですね。
もちろん物語である以上、彼女らも困難にぶち当たることがあります。
劇中ならば、キャンプ場設営が一旦ストップしてしまう事態が起きます(……これまた原因が非常に山梨あるあるなので、県民的にはお笑いポイントです)。
みんなで集まる口実を失った5人は、以前のようにちょっと距離が離れてしまう。ここの描写がこう、スッと差した影が伸びていくような静かなもので丁寧です。気持ちがちょっと重くなる。「そうそう、社会人ってちょっとしたきっかけでまた離ればなれになっちゃうよね」……っていう。しかしあくまで「乗り越えられる困難」として設定されています。
少女たちの気持ちをへし折って、心に傷を負わせるような出来事はゆるキャン△には起きません。
そんなリアル誰も見たく(以下略)

様々な困難を乗り越えて再集結した5人が、無事キャンプ場を完成させ、初めてのお客さんたちを招く。年末、また五人で集まってここでキャンプしようねと約束したところで物語は幕を閉じます。
エンドロールと、エンディング曲がまた良かったです。背景で流れる少女たちのその後もいい。10年20年経っても、そうあれかし。と祈らずにはいられません。

と非常にストレスフリーで祝福をしたくなる映画だと紹介したワケですが、同時に「大人への毒」もたしかにあるのです。
映画館にいった時。私の後ろの席には、小学生くらいの女の子たちが座っていて、しばしば笑い声がしてホッコリしていたのですが、おそらく彼女たちには心当たりがないであろう「大人への毒」。

仲はいいけど昔のようには会えない5人の姿とか。
深夜まで一人で仕事している記者とか。
消えてしまう学校を眺める教師とか。
お客の高校生たちにかつての自分たちを見る店員とか。
変わってしまったもの、変わっていくことを名残惜しくみている大人たち。

中でも一番きいたのが、ちくわと過ごす恵那ちゃんでした。
ちくわは恵那ちゃん家のチワワなのですが、映画版での年数経過にあわせて老犬となっています。
昔のようにリンたちに飛びつこうとしても直前で力尽きてしまったり、散歩中に他のイヌに追い越されたりと、明確に衰えが描写されています。
イヌを飼っている身としてはとても分かりみのある……イヌの老いた姿なのです。
それだけでも若干つらいのですが、飼い主の恵那ちゃんが「みんなといた時は元気だったのにねぇ」とか「大丈夫だよ。ゆっくり歩こうね」とか、声をかけるのです。
これが……つらい。恵那ちゃんはちくわの老いと、おそらくその先にある別れまでも見えている。昔のようにはいられないと受け入れて、今のちくわに合わせて生きているのです。
恵那ちゃんはもう子どもじゃなくって、既にそういう切ない現実を見て生きている。胸にジクリジクリとくるものがありました。

ただ、これらの「大人への毒」は作品の単なるアクセントのみで終わらず、劇中でしっかりと一つの回答を示しています。
なでしことリンの野外温泉シーン(!)なので印象的だとは思いますが、
・大人になってできなくなったことも一杯あるけど、できることも増えた
・私たちが好きだと思ったものを、誰かに伝えていける
と、なでしこが言うのです(意訳)。
映画ゆるキャン△で、毒を受け取った大人へのメッセージ。
変わってしまったもの、変わっていくことは確かにある。
けれど感じた想いや経験、モノであっても他の誰かに伝え、継承していける。
たとえ場所や形が変わっても、あなたが尊いと思ったモノは、あなたの力でずっと残していける。

そういうメッセージだと受け取れました。
映画ゆるキャン△。やるやんけ。











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