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「新しい」って何だろう?【今週の加藤さんvol.5】

「今週の加藤さん」
あけましておめでとうございます!2021年もよろしくお願いいたします!・・・と言うにはもう遅いかもしれませんが。

“最近何か気になってる話題とかありますか?”というとてつもなくラフなお題を、花咲爺さんズ代表の加藤さんに聞いてみるコーナー。聞き手は弊社シオヤ。

今回は、お正月休みに加藤さんがぼんやり考えたという哲学的(?)なお話をお届けします。

加藤さん:
頓智みたいな話なんだけどさ、「新年」ってなんで新しいって感じるんだろう?新年が毎年来るって変じゃない?

シオヤ:
・・・?

加藤さん:
十二支が毎年ぐるぐる回ってるだけなのにさ、なんで同じ丑年がまた来ただけなのに「新しい年」なんだろう?新年って言うけど、毎年来ているのもがなんで新しいって感じるんだろう?っていう話なんですけど。

シオヤ:
あーなるほど。言いたいことはわかってきました。

加藤さん:
11月が来ても12月が来ても「新しい月が来た」とは思うけど、1月が来た時の「新年が来た!」っていう感覚とは全然違う気がして。新年ってすごいなぁと正月に思ってた。

シオヤ:
確かに、いつもと同じく次の日が来るっていうだけですもんね。なのに、私も大晦日になると「新年が来てしまう!」という根拠のない焦りを感じます。加藤さんは、新年を迎えるときの気持ちってどうなんですか?

加藤さん:
僕はね、何も思わないんだよね。

シオヤ:
え~!何も思わないんですか!?

加藤さん:
何も思わないから、みんなが気持ちを改めて何かするとか、多くの人たちがリセットされる感覚を持つってすごいなーと。もちろん伝統行事とか慣習と結びついているところも大きいだろうけど。

シオヤ:
そうですか・・・結構ドライですね(笑)。
言われてみれば確かにとは思いましたけど。

加藤さん:
そんなところから、新しさってみんなで「作っていく」ものなのかなと思って。

どんな人間もすでに存在している世界に生まれてくるのであって、習得する言葉も、何かを作るために使う道具もすでに存在している。ゼロから生まれるものはなくて、すでにあるものの組み合わせで「新しい」ものが出来上がっていく。全くのオリジナリティって存在していなくて、みんなで作る幻想なのかもしれない。

って、お正月に考えてたっていう話でした。

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