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働く母と子の寂しさ

今日は母の日。
母の日にはいつも何をあげようかと悩む。
去年は素敵なスカーフを。
今年は生前整理が進まないこともあり、消え物で美味しいお酢のドリンクを。
いつも大袈裟にありがとうと言ってくれる親だが、それは本心なのかな。

母の日だからと、一人暮らしの娘が(毎週帰ってきているのでわざわざ感は無いけど)帰って来てくれた。
ちゃんと好みをリサーチして選んでくれていて嬉しい。

これは小学生になって初めてくれたプレゼント

娘が産まれる前からずっと、結婚しても働き続けようと心に決めていた。
元々ワーカーホリック的な自分は、会社で一定の評価を得ることで、自分を確立させていたんだと思う。

今でも思い出すのは結婚して妊活のために仕事を辞めた友達の言葉。
『ねぇ、今みんなどんな服着てる?初夏用のサンダル履いてる?』
家の中だけにいると季節感もないし、流行りも知らないし、社会から断絶された気になるよなぁと共感した記憶。

それから思い出すのは絶望感。
一人で住んでいた時の記憶。
趣味も特にない、お金もないので遊びにも行けない、誰かを誘う元気もない。ただただ仕事の疲れと悩みが雪だるま式に増えていったあの頃。
何の努力もしないくせに誰かに認められたくて、でも誰もそんな自分には見向きもしない。
文句も、負け惜しみも、助けても言えなかったあの頃。
自傷やODでぶっ倒れていて、見上げることしか出来なかった天井。
あの時、とにかく無茶苦茶何でもやってやろう、今まで何もやってこなかった、やったふりだけしてきたから、今までの分取り返す。
死なないなら必死で生きてやろうと決めたんだった。

子どもが生まれてから約一年。
社会復帰に悩みがあった。うちには居たくない。でも保育を学んだ自分には、『自分が働く事で家庭保育に欠ける子』を作り出してしまう事がとても嫌だった。
子どもは可愛いし、毎日成長見たいし…でも、と色々悩んだ結果とにかくやってみようと決断した。
まぁ結果は惨敗で、保育園で嵐のように病気の洗礼を受け、誰も幸せではなかったので仕事は辞めた。
幼稚園に娘が入学すると同時に、社会復帰を果たし、そこからほとんど切れ目なく仕事をしている。

そこから約15年、本当に色々…色々あり、社会と繋がっていたことが今生きている理由かもしれない。
辛くて辛くて、寝れなくなり、逃げ場を探し、涙を止めるために酒と薬に逃げる。
幸い社会的地位や賃金では恵まれ『いつでも何かあったら子どもを連れて飛び出せる』状態にしていたかった。
親の不幸を子に背負わせることが怖かった。
だからとにかく必死で仕事をしていた。あの時心理的に守ってくれていた仕事に感謝している。

そして、必死で仕事をして、子育てをして、お金を稼いでなんとか普通の生活を維持できて…それでも今、娘に『小さい頃から親が働いていて寂しかった』と、言われてしまう。
小学1年までは仕事をセーブしてお家でおやつを出したり、中学受験の時は送迎頑張ったり一緒に模試に行ったり、一貫校に入ってからは同僚に頭を下げまくって休めるだけ休みを取ってPTAを2期やったり、したんだけどなぁ〜…。

前の職場で娘の勉強のお付き合いをお願いした事があり、母が働いてる姿を娘がチラ見していた事がある。
(割と閑散期だったので、本格的に仕事をしているわけではないのだが)
母が働く姿を見て『そんな風に笑うなんて知らなかった』と言われる始末。まぁそれはね、仕事をする事で『心を許せる仲間』が出来たからなんだよ。
でも仲間は家族ではないからね。

子どもが1番な事は、いつでも変わらない。
ただ、自分と子どもは別の存在だし、子どもが幸せに生きれるようになってほしい、と思うだけなんだけどな。
いつか、わかってくれるかな。

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