脱・社交辞令
「今度会おうね〜」とか
「今度交わりしましょう〜」とか
「今度おじゃまさせていただきます」とか
「今度お話聞かせてください」とか…
それは本心ではなく、「社交辞令」ということを知ってからは、「今度」と言われるたびに、
「どうせ会う気なんてないくせに」と、「今度」を信じなくなってしまった私。
(なんて言いながら、子どもには「後でね〜」とか言ってやらない私。ゴメンよ子どもたち。)
…日本の世は、そんな社交辞令で、関係が出来上がっている。教会だってそうだ。
でもそんな社交辞令の世界で、私はどう生きるべきなのか。聖書は私に答えをくれた。
理想 >> 現実 >>実現 〜社交辞令で終わらせないパウロの生き方〜
パウロはローマ教会の人たちに会いたいと ”切に“ 願っていました。
(宣教の旅の途中、ローマに立ち寄り、しばらくの間ローマ教会の人たちとともにいて、心を満たされてから、彼らに送り出してもらって、イスパニヤに行きたい。….というのがパウロの願いでした。|ローマ人への手紙15:23-24)
パウロはそのことをローマの人たちに、わざわざ手紙を書いてまで伝えています。
ところがパウロはその願いを叶えるよりも前に、エルサレムでクリスチャンたちに奉仕せねばならない…というニーズを抱えていました。
でもパウロはその現実(ニーズ)を放棄せず、しかしその現実を言い訳にすることもなく、ローマへ行きたいということばを実現させました。
(正確には裁判のためだけど。パウロは何とかしてでも行くって言ってるからよし
としようじゃないか。)
パウロには社交辞令など存在していませんでした。
「ローマに行きたいって願ってるんだけどさ、エルサレムに行かなきゃいけないんだよ〜(だから行けないんだよね〜)」
ではなく、
「エルサレムでの仕事が終わったら(いつか)ローマに行くね〜」
でもなく。
「ローマに行きたいって願ってる。でも先にエルサレムに行かなきゃいけないから、その用事が終わったら必ず行くから!」
これがパウロの信仰です。
社交辞令が嫌いな私はこの、パウロの有言実行にめちゃくちゃ心を打たれました。
「これだ、これが私の宣教だ」と、宣教師を目指した頃に心に決めた生き方です。
資金不足で断念
会いたいと思ったなら、忙しいからなかなか…なんてのは言い訳になるだけ。
会いたいって言われたら、待ってないでこっちから会いに行く。それは私がパウロから教わった、信仰の選択でした。
幸い、訪問した先では私自身が良い励ましをいただいたし、「励まされた〜」と言ってもらえたときは、心底嬉しかった。
「パウロが言ってたことはこれか〜」と幸せでいっぱいでした。
でも、その宣教スタイルは当時、組織としては全然認めてもらえなくて、実費でやるならいいよと言われながらの働きでした。
最終的にお金が底をつき、そんな中で沖縄へ嫁ぐことになり、資金不足で数年間、「会いに行く宣教」は出来ず仕舞い、
沖縄旅行で訪れる人たちが会いに来てくれるという、逆転現象が7年続きました。申し訳なさともどかしさを抱えていたのもその頃です。
会いに行くことを思い出させてくれた人たち
沖縄での7年の中で、「カクマイ」のプロジェクトが動き出しました。
京都への移住が決まり、”かくまえる物件” を探すため、私たちは「アクセスの良いところ」を条件に加えて祈りました。
ところが与えられた物件は、お世辞にもアクセスの良いところと言える場所ではありません。
私たちが神様に提示した16個の条件の中で、唯一聞かれなかった願いです。
でも、そんなアクセス最悪の場所にもかかわらず、会いに来てくれた方々がいました。
その方々の愛と行動に、再びローマ人への手紙のみことばを思い巡らすことになったのです。
「ここは来てもらうにはアクセスが悪すぎる。でも、私たちから赴くには、最高にアクセスがいいところじゃん!」
そう、ここは大阪と京都と兵庫の県境。与えられていた召しに生きるために、実は条件は聞かれていたことに気づかされました。
…ということで、何だか理論的になってしまったけど、ただシンプルに「互いの励まし合いを実現させる」というパウロの生き方を、私は受け継いでいきたいと思っています。
会いに行く宣教、再びスタートするぞ\(^^)/