クリスチャンらしい働き方って?①
先日、クリスチャン女子たちと、「仕事」についてを語り合う交流会を行いました。
クリスチャンらしい働き方とは?
クリスチャンらしい仕事とは?
そんな内容で女の子たちから、それぞれの想いを聞かせてもらい、聖書の学びをしました。
ちなみにその日は、
神様の栄光を現すことができるなら、
どんな仕事をしても、どんな働き方をしてもいい。
これが結論でした。
神の栄光を現すためなら、どんな仕事をしてもいい。どんな働き方をしてもいい。
…としたら、あなたはどんな仕事をし、どんな働き方をしますか?
(もうひとつの働き方は ▶︎コチラを一読。)
クリスチャンらしい振る舞いによって、神の栄光を現す?
多くのクリスチャンが実践しているのは、誠実に働く "姿" を通して神様の栄光を現す、という働き方。
実際に交流会に先駆け行った意識調査ではこのような結果がありました。
<クリスチャンらしい働き方ってどんな働き方だと思いますか?>
悪口を言わない、陰口をたたかない。
文句を言わずに上に従う。
職場にクリスチャンであることを伝える。
日曜出勤の職場は選ばない。
ここからも分かるように、多くのクリスチャンが、このような働き方をすることで神様の栄光を現そうとしています。
私はこれを、"クリスチャン精神" と呼んでいます。
しかし、クリスチャン精神で働くことには、大きな落とし穴が存在しています。
クリスチャンらしくいなきゃというプレッシャーがストレス性疾患を招いている
クリスチャン精神で働くこと、クリスチャンらしく振る舞うことに、私が問題を感じているのは、それが元でストレス性疾患を抱える人がいるということです。
たとえ職場が嫌になっても、「忍耐」することがクリスチャンとしての姿だから…と想って我慢しているクリスチャンが多いのです。
さらには「職場が "嫌だ" と想ってしまう自分はなんて罪人なんだ」と自己嫌悪に苛まれるクリスチャンもいます。
このような働き方が "クリスチャンらしい"とされているがゆえに、
「クリスチャンであることを伝えられない自分はクリスチャン失格だ…」
「日曜出勤している自分も失格だ...」と、
教会では言えない悩みを抱えているクリスチャンもたくさんいるのです。
そして忍耐(我慢)し続けた結果、様々なストレス性疾患が招かれています。
文句も言わず、悪口を言わず、職場の理不尽さにも、ただ我慢し続けることが神様のみこころであり、証につながる… のでしょうか。
心と体を壊すまで頑張ることで、神様の栄光は現れるのでしょうか。
悪口を言わない、陰口を叩かない、理不尽な上司にも従う、日曜は出勤しない…
それがクリスチャンらしい働き方であり生き方だとよく聞きます。
特に教会で育ってきた若者たちは、そのような"クリスチャン精神" を、小さい時から培われてきました。
しかし、そのクリスチャン精神が、必要のないストレス性疾患を招いているとすれば、みことばを正しく理解していない・正しく教えられていない・伝わっていないのかもしれません。
さらに言えば、クリスチャン"らしさ"だけが教えられていて、みことばが心に刻まれていないケースもあるのです。
みことばは、鬱になるまで我慢して働けとは、決して言いません。
むしろみことばは、人に休むことを教えてくれます。
私たちは、クリスチャン精神ではなく、みことばを実行することが、ただ求められているだけです。
クリスチャン精神で、ではなく、みことばを正しく実行する
クリスチャン精神は、クリスチャンでなくとも実行できます。
クリスチャンがクリスチャンらしくある所以は、「みことばを」実行するか否か、ではないでしょうか。
問題は、そのみことばが正しく理解されていないことで発生します。
相手がみことばを知らない・正しく理解していないがゆえに、問題が発生することも多々あります。
大切なのは、"自分は" みことばを正しく理解し、正しく行うこと。
窮屈に、我慢して生きることが神の栄光を現すわけではありません。
キリストは自由を得させるために、私たちを開放してくださっているのですから、みことばの実行は、本来自由を与えてくださるものです。
神様のことばを行うことで、私たち人間にもたらされる自由という恵みを、
自分自身の「姿」で表していく。
それが、神の栄光を現す働き方なのではないでしょうか??
番外編:崩れた心も体も、みことばが癒してくれる
もう心も体も崩してしまったよ…という人へ、聖書はその心と体を癒す方法まで示してくれています。
それが、食療法です。
聖書には、人を癒すために食物が備えられていること、食物によって癒された人のことが、多く記されています。
もしみことばと食事で元気を取り戻したい方がいたら、メッセージかコメントください( ´◡` )
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