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魂を射抜くメッセージは時を超えて

お久しぶりです。雲隠れしていたわけではないのですが、少々潜っておりました。あと地獄旅行もしておりまして。笑 何をどこから書いていいのかわからないまま本日まで来てしまったのですが、本日は私に起こったうれしい出来事をお届けしたいと思います。


みなさまは、自分がどこから誕生したのか、自分がどこの星からやってきたのか考えたことはございますか?母親のお腹から生まれてくるのが自然の摂理と存じます。

私が申しておりますのはそういうことではなく、自分がどこの星の出身なのか、自分の本当の母は誰なのか?そういうことです。いや一体なんなのよ?という話なのですが、詳細を語るとこのようなことです。

私には長年誰にも言えなかった、いえ、すぐ下の妹だけには言っていた秘密の疑問がございます。


自分の本当のお母さんは誰なのか


はっきり申しまして、私は戸籍上の母のお腹から生まれております。あの日あの時、雪降る豪雪のさなかに福島県三春町にある町民病院で生まれたのでございます。ですから、私の母は紛れもなく戸籍上の母なのでございます。

しかしながら、幼少期から常に自分の本当のお母さんは誰なのか疑問が付きまとうのでございます。すなわち、自分の母が乳母にしか思えないのでございます。はてこれいかに。

母が私を愛してくれなかったわけでもなく、虐げられていたわけでもございません。それでも、それでも、私はどこから来たのか。この疑問は尽きないのでございます。

二つ年下の妹君は私に輪をかけて不思議ちゃんMAXでございました。

そんな妹君いわく、「いつか自分がどこからきたか知れるからいいんじゃないの?」とのんきなもんです。こっちは真剣で必死だっつーの。

今思えば、妹君は知っていたのかもしれません。 
いつの日か知る、その日が訪れるということを。

そして自分のルーツについて辿り着くために不思議な男性と出逢うことを。



母親がどうとか、そんなことに苛まれているばかりではこの世では生きていけませぬ。ですから私は必死に人間らしくふるまって、ちょっと?いやかなり変わり者としても人間の生活に溶け込んで生きておりました。

そんな折、妹君が天に召されたのであります。

いくら泣き虫な私でも、あのような慟哭とも表現すべき涙を経験したことは人生一度きりでございます。狂いたくとも狂えない、なぜなら私のお腹の中には臨月の長男がおりましたから。

自分を呪いましたし、妹君を責めました。

こんなに必要としている人をなぜ私は手放してしまったのであろう、そんな後悔ばかりの毎日でございました。

ですから、長男にまだ母乳をあげている状態で私は働きにでました。忙しく仕事に忙殺されることで妹君のことを考える隙間を与えない、そうしないと全てがおかしくなりそうだったのでございます。

そうして勤め人人生を送っておりましたが、よくよく考えてくださいませ。世間様の常識や人間界のルールと乖離したわたくしのフォローをしてくれていたのは外ならぬ妹君でございます。わたくし一人でなにをどうしたらいいのかさっぱり見当もつかないのでございます。

そんなある日、おもしろおかしく不思議なことをいう自由が丘からやって来たという男性と出逢うのでございます。

その男性は「この人はおもしろいから繋がったほうがいいよ」と大勢の前でいいました。その時の私は、なぜか初めて逢ったはずの目の前にいる男性がすすめる沖縄在住の男性に興味をもったのでございます。

男性はいいました。

「いまから話すことは僕が考え出したことではありません。沖縄にいる上里民洋という不思議なことばかり言う男性から教えてもらったことです。」

私はびっくりしました。だいたいこういう時は自分のネタソースを明かさないものです。

営業職を長年やってきた私は、様々なセミナーや講演会に出席したり潜り込んでは人間観察をしておりました。上司や先輩がすすめる自己啓発やスピリチュアルなセミナーには必ず参加して人間観察をし考察するのが趣味でした。

多くのスピーカーたちは、さも自分が開祖の様にストーリーを構成していきます。しかしながら、大元を辿っていくと必ず元ネタが存在するのでございます。必ず元ネタはある。

しかし、目の前にいるトイレに素手を突っ込んで掃除しろ!全部捨てろ!全部!と声高々に話す自由が丘から来た男性はハッキリ言ったのです。「僕が考えたことではないです。」と。

私にとって初めてのことでしたので、カルチャーショックを通り越して「この人、なんて素直な人なんだろう!!」と強烈に思い込んでしまったのでございます。ですから、すぐさま沖縄在住の男性へ連絡をしました。あなたと逢いたいと。

それは2015年9月26日のことでございました。そしてわたくしは10月2日には沖縄へいたのでした。

あの時、まったくお金がなかった私は初めてLCCという格安航空券を予約して、破格のビジネスホテルを探し出してどうにかこうにか沖縄へ向かったのでございます。家族になんと説明して沖縄へ行ったのでしょうか。他人様に説明するのは実に怪しい話なのでございます。



10月2日夜22時に私が宿泊していたホテルのロビーに現れたその男性は、ただならぬ雰囲気の男性でした。

人生で初めて逢うタイプの男性です。

どのカテゴリーにもはまらない、常識という存在やそういった決まり事が通用しないということは一見でわかりました。

そして、彼を一目見たその時直感的に私はあることを感じました。

「この人、〇〇神が付いている」

自分自身でもびっくりしました。なぜそのようなことを思ったのか。しかも〇〇神です。本人には絶対に言えません。誰にも言えません。

きっと、妹君がこの世にいたのなら彼女は彼を見て同じことを感じたに違いありません。そして「はなちゃんやったじゃん~なかなか〇〇神には逢えないよ~ラッキー!」と私にそういったことでしょう。

男性は私の生年月日を聞いてきました。そして開口一番こういったのです。


「虹は神の祝福です。」


沖縄行きの飛行機の中でわたくしは不思議な光景を見たのです。

雲に映る虹が飛行機を丸く取り囲んで、飛行機と一緒に動いているのです。そして、その光景を見ていた私はなぜだか涙が止まりませんでした。

彼は言いました。

「虹は神からの祝福です。ですからあなたは神に祝されてここまで来たということですね。」

私の涙腺が決壊したのは言うまでもございません。

深夜のファミリーレストランにて私は堰を切ったように話しました。自らのこと、妹君のこと。言葉にならない言葉であったと思いますが彼はわたくしの言葉の一つひとつを丁寧にくみとりながら言いました。


「妹さんがあの世へ行ったのはあなたのせいではありません。」


そして続けざまに彼は人間が自ら命を絶つ構造について詳しく解説し、何枚ものA4サイズの紙に書きだしました。

確かにそうなのかもしれないと私は思いました。誰のせいでもなく、彼女自身が決めて望んで行ったことであり、彼女の選択を一番理解できるのは私しかいない。

もっと言いますと、実は、妹君が自ら天に召されたと聞いたその瞬間、私の本音本心は「ああとうとう成し遂げた」と思ったのでございます。

しかし、一報を受けた私の煩悩であり思考はどうしても彼女の選択を許容できませんでした。なぜなら、自らの手で命を絶つことへの賛成は致しかねるからでございます。当時はなにがあろうともそのようなこと、自ら命を絶つことなどはあってはならないと思っていたのでございます。

この、あってはならないという感情と妹君が成し遂げた大儀のはざまで私は長年揺れ動き悩み苦しんだのでございます。

妹君が何を何し遂げるために光の世界へ自ら行くのか、私はその理由に気づいていました。だからこそ、そんなことがあってはならないと強く否定したかったのでございます。

妹君の行為行動を認めたい、しかし、認めることはできない。そのようなジレンマを抱えているわたくしに対して、私の目の前にいるとても不思議な話をする男性はハッキリと言い切ったのでございます。

「妹さんがあの世へ行ったのはあなたのせいではありません。」

このことを自らで立証して、肚落ちし、受け入れることができるようになるまでそれから8年かかりました。

最初からわかっていたことに対してまったくの知らんぷりをして、一から確かめにかかるという、今思いますとなんて効率の悪い時間と手間、金銭もかかりすぎた道のりでございました。しかしながらここまで来た道のりに対して、一滴の後悔もないのです。それは固く絞っても出てこないほどでございます。

むしろよくここまでやり遂げたなという、自分に対しての賞賛と祝福しか感じないのです。 

あの日、あの時、やると決めてよかったと思うのです。

悲しみと後悔に苛まれていた人生をもうやめると決めて、いつの日か母に対して「あの子が光の世界へ行ったのは誰のせいでもない」と伝えるのは私しかいない、そう決めて邁進した月日でございました。

やると決めてから8年の歳月を必要としましたが、今思うとわたくしには長いとは思えないのでございます。

長いとか短いとか、手間がかかったとか、多額のお金を使ったとか、そんなことよりも今深く味わっているこの「すっきりくっきり爽やかに」を感じているほうがよっぽどの優先事項なのでございます。

男性に私は尋ねました。あなたの言うこのバイオリズム表を8年間やったらどうなるのでしょうか?彼は私にこう言いました。


「なぜだか、すっきりくっきり爽やかになります。」


実に抽象的な物言いです。しかし、今の私からは「確かに!」というセリフしか出てきません。なぜだかわからないけれど、すっきりくっきり爽やかになっている自分が今ここにいます。

これは、自分自身でも日々びっくりしているのですが、なんと説明していいのかわからないぐらいすっきりくっきり爽やかになっているのでございます。

確かに、彼は言いました。やり切ったその先にはすっきりくっきり爽やかになると。その現象が何なのかどのような感じなのか当時のわたくしにはわかりませんでした。想像もつきませんでした。そしていまわたくしが味わっているこの感覚、感じを言葉にしようとしてもなんとも表現がしにくいのでございます。

確かに、彼が構築したバイオリズム表のリズムを奏でながら生きることができるのならば、その先には素晴らしいすっきりくっきり爽やかな世界が存在することはわかりました。

他人様が言ったことを鵜吞みにできない私は、彼が私の目の前でバイオリズム表を書き出したときに「やってやろうじゃないか」と思いました。8年間きっちりやり遂げて、もし彼のいうところのすっきりくっきり爽やかにならなかったのなら盛大に文句を言ってやろう、とやることを決めました。

清く正しく始めたことではございません。

やってもいないことを、感じていないわっていないことを、鵜呑みにして信じることはできません。やるしかないのです。やってみて体験経験から自分で感じた結論を出すしかないのです。

ですから、私はやると決めてやり切りました。



私がやると決めてからちょうど8年がたったその日。そして私の大きな節目である8年目の私の誕生日も、彼は施設に入っておりました。

今まであれば、「ちょっと聞いてよー!」と沖縄にいる彼に電話をしてお得意の長電話をしたかもしれません。それとも沖縄か名古屋にて二人で盛大にお祝いパーティーを開いたかもしれません。しかし、彼の電話はある時を境に不通になってしまったのです。

なぜそのようなことになったのかを彼の長年の友人である沖縄のJさんから聞きました。

私には祈ることしかできませんでした。

ここで私が罪悪感を感じてしまったなら、妹君の時の二の舞です。 

妹を助けることができなったという強いエゴイズムからなす後悔に苛まれた感情、過去の私のままです。

何度も自分自身に言い聞かせました。言い聞かせましたが、自分自身で決めたことなのに揺らぐのです。

最後に彼と電話をしたあの日私は彼にいいました。


「今の私の体調と心理状態であなたの元へ行ったら何もかできなくなる。こんどこそ私のエネルギーが底を尽きちゃう。だから今は行けない。ごめんね」


2023年3月に私はひどく体調を崩しました。自分のことを二の次三の次にして他人を優先して生きてきた大きなツケを清算しなくてはならない時が来たのです。

高熱と激しい腹痛、まったく何の対処も、何の薬も効かない状態が5日間続きもだえ苦しんだのでした。布団から出てお手洗いへ行くことすらできませんでした。

私はいい加減この自己犠牲の癖を手放さなくてはならない。

そして、沖縄の彼へ私は告げたのです。


「私は今、自分をいちばん大切にしないと大きな後悔をすることになる。もう後悔する人生は嫌なの。体調が良くなったら必ず行くから、待ってて」


彼が名古屋へ仕事で来ているとき、彼は私に言いました。


「はなさん、自分はこの人と逢うと元気になるという人を見つけて、その人となるべく多くの回数逢わなくてはなりません。もし、自分に元気が無いなと感じたら何が何でもその人に逢わなければなりません。元気になるのです。そのような人を元気な内に見つけなければなりません。」


へーと私は彼に質問しました。あなたにとって元気になる人って誰?と。彼は私の瞳をまっすぐ見据えながら言いました。


「それはあなたです。あなたに逢うと私は元気になります。こうして名古屋まで来て元気になって沖縄へ戻ることを繰り返しています」


やだーそれって愛の告白みたいだよ、と私が冷やかすと彼は続けてこのように言いました。


「私は十歳の時に男女の性愛を断ち切りました。ですからエロスとは無縁の人生を送って来ました。しかし、愛については知っています。人間が愛を持って生きることはとても大切なことです」


体調を崩して入退院を繰り返している彼が私に逢いたがっていることはわかっていました。しかし、私は行かないと決めたのです。

そんな私に病床から彼は言いました。


「あなたは太陽なのです。太陽が存在しなければ生命は死に絶えます。あなたは自分を大切にしなくてはならない。まず自分を大切にしてください」


その後、彼の体調は悪化の一途をたどりました。

ある日、珍しく彼は私に電話をしてきて、ある懺悔をしました。

あれは後悔ではなく懺悔でした。祈りの懺悔です。

今そのことに気づいたのだからいいじゃない、まだ寿命があるんだし辞めることも新しく始めることもできるよ、などと言うことがその時の私には精いっぱいでした。


「私は勉強しすぎました」


最後に彼はそのように私に告げ、その次の日から彼の電話は不通になりました。

彼が何に苛まれて何をどうしたいのか私には手に取るようにわかりました。そして、私が彼の元へ行って、と何度も思いました。しかし、見せかけの優しさ、エゴイズムが何になるというのでしょう。

人間だったらこんな時普通こうするよね。そんなことをやるために8年間も彼と学んできたわけではないのです。

人間の魂からの望み、自分自身でも気づいていないような意識を自らで引きずり出す、暗がりより光を求めている意識に光を当てるためには何を成したらいいのか、そのことを成すために彼と一緒に生きてきたのです。

彼も私も肉体は人間です。煩悩も存在します。

彼はよく言っていました。


「敵は煩悩寺にあり」


意識を持って強く決めてたとて煩悩は強く燃えあがります。魂の意識が希望する方向、望む出来事を優先しようとすればするほど煩悩が燃え身体を燃やします。

しかし、私はやらないと決めたのです。

彼自身の力、自ら懺悔し自らに光をあて自らを許して行く。そのことに私は手出ししないと決めたのです。手を差し伸べる優しさと同じぐらい手を差し伸べない優しさもある。私はそのように思うからです。

2023年の年末大晦日が近くなった頃、施設に入所していた彼に逢いに行きました。

車椅子に座った彼は、きっちり人間として生還していました。

お見舞いに同伴した彼の沖縄の友人は、彼がこんなに元気が無くなるなんてと嘆いていらっしゃいましたが、私はとても嬉しかったです。

彼が長年どうしようもなく「止められなかった」ことを、彼は自らの手で止めたのです。

それは常人では到底できるようなやり方ではなく、人間としての意識を持って生還した彼はやはりとんでもなく強靭な精神を持った人だと思いました。

人間は目に映る世界をすべてだと思い判断をします。

ですから、彼のことを偽物だとか狂っているだとかいう人が多数いらっしゃいました。慎ましい生活をしていた彼に対して心無い言葉を投げてきた人もいました。

しかし、彼が受けたこの世への生の意味を知らないからそのような言葉が出るのだと私は思います。

それは仕方のないことです。人間は目に映る物質社会、そして自らの経験のないことに関しては「無い」と思いながら生きていく生き物です。

ある時、彼は何の脈略もなく自らの魂の出路について私に語りました。そのことを聞いた私は何の言葉もでませんでした。驚きが過ぎて呼吸さえ止まったような感じでした。

誰にも理解されないとてつもない使命を持ってこの地獄ワンダーランドに人間としてやってきた生命体が存在するのです。

わざわざ人間なんかにならなくてもいいのに…もの好きすぎる。あっそっか、私に逢いに来てくれたのかしら?愛されてる私。ふふふ。笑



去る2024年3月10日
上里民洋氏(本名 上里洋)は
天寿を全うして
地獄ワンダーランドを卒業されました



次回のミンミンは500年後にアメリカのシカゴに現れるそうなので、もしあの世でご一緒に修行されます方、シカゴにて再会されます方はミンミンによろしくお伝えください。三井が激しく怒っていたと。笑

フェミニストでありロマンチストであったミンミンは、泣き虫の私がさみしがらないようにたくさんの数式と謎かけ問題と、13通の手紙を残しました。あたしゃ謎解きをするラングドン教授かよ!

※ラングドン教授とはロバート・ラングドン(Robert Langdon)。ダン・ブラウンのサスペンス小説『天使と悪魔』(2000年)、『ダ・ヴィンチ・コード』(2003年)、『ロスト・シンボル』(2009年)、『インフェルノ』(2013年)、『オリジン』(2018年)にシリーズ主人公として登場する架空の人物

自分で言いますが私は天才なので、なぜ彼が残した手紙が「13通」なのか早々にその理由を見つけ出しました。エッヘン。

初めて訪れたとある本屋さんにて見つけた本にその答えが明確に書いてありました。

その時一瞬で滂沱の涙が出たのは言うまでもないですが、「くっそー!あのロマンチスト爺やりやがったなー!!!」という感情が涙と入り混じって、ミンミンの笑顔とあの高笑いが目の前に出てきてものすごく腹が立ちました。

13通の手紙の届け方もさることながら、13通の手紙に書いてあった内容、そして13通の意味。

数を極めたロマンチスト爺らしいやり方です。

今、目の前にミンミンがいたのなら私は大声で「ふざけんなー!こういうのは愛の告白っていうんだよー!ほんと信じらんないー!」と罵声を浴びせます。笑



私、実はラブレターが欲しかったんです。

「私にとっての究極のラブレターってどんな感じなんだろう?」と幼少期からとにかくラブレターが欲しかったのです。ですから、仲良しさんをしてきた殿方達には私のロマンチシズムを強要してきたと今は大反省しています。

返事が来ないんですよ。

私が誰にどれだけ手紙を書いても、思うような返事、強烈なラブレターは私の元には一向に届かないのです。いいか、お前ら黒ヤギさんが手紙を書いたら白ヤギさんは返事を書くんだぞ知らんのか、という気持ちでした。

でも、もういいんです。

欲しくてほしくて仕方なかった壮大なラブレターを私は手に入れましたので。笑

こんな想定外な方法でミンミンから手紙が届くとは思いませんでした。

その13通の手紙を見つけた時も驚きましたが、なぜ彼が13通にしたのか理由を突き止めた時は、あいつ今度こそ私が息の根を止めてやる。と思いました。いやマジで。笑

私はもう生まれ変わりもないため500年後のシカゴに私は存在しないので、あの世かシカゴでミンミンに逢った人は「三井むっちゃ怒っとったでー」と彼へ伝えてください。彼は何のダメージも負いませんけど。笑


愛とは言葉ありきで
言葉なき存在でもあります


この混沌とした時代に、おもしろおかしい話を小難しく話したがるロマンチスト爺に出逢えて私はさすが果報者、幸せ者だと思います。

ちなみに、ミンミンについていた〇〇神は私にとても素晴らしい働きをしてくださいまして、そこも驚きMAXです。より一層すっきりくっきり爽やかなのでございます。

逢いたかったんですよ~すいとり爺さんに。笑

ほんと、わたくしは本の世界や物語の世界に没入していて、しかも人間界の基準では測れない世界を堪能しているためか、ロマンチシズムも極めすぎていてほんとどうしようもないのです。笑

でも、最近思うんです。あの時やってよかったなって。

絶対に文句言ってやる!などと不純な動機だったかもしれませんがそれでも、強く決めてやり遂げてよかったです。

行く先に、このような世界が広がっているとは想像もつきませんでした。



ちなみに、この原稿は4月1日に下書きを書いたためエイプリルフールのフィクションとしてお読みいただけましたら幸いです。

目に見える世界にどれだけ「本当」のことがあるのでしょうか。ふふふ



住む場所がなく寺に居候していたミンミンに自宅を与えてくださいました亀甲和子先生

ミンミンを櫻庭露樹さんへご紹介してくださった矢場杉雄師匠

そしてあの日、「おもしろおかしい変なことをいう男性が沖縄にいます。是非つながってください」と私にミンミンの存在を教えてくださいました櫻庭露樹社長。

この御三名様にはお礼を言っても言い尽くせない思いでございます。ありがとう存じます。私は皆様のお陰様にて、今現在も見たことも聞いたこともないおもしろおかしい世界を堪能いたしてございます。ミンミンが生前中は失礼MAXだったと存じますがその気持ちには痛いほど共感いたします。ソーリー。苦笑


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自然は大いなる神秘を内包しています。

この神秘は自然の番人たちによって知恵を冒涜し悪用しようとする者たちからあつく守られてきました。

だが、時に、自分の目や耳や自然の発する周波数にうまくチューニングできた人々にはこの教えの一部がそっと明かされる。

何より必要なのは、日々目の前に示されている自薦の驚異の深い意味を理解しようとする開かれた心、感受性、熱意、そして真剣さである。

多くの人々が、我々を取りまく美しい秩序に無感覚であるとまでは言わないししても、ほとんど半睡状態か麻痺状態で人生を送っている。

だが、手掛かりになる痕跡が残っているのである。
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※黄金比・自然と芸術にひそむ不思議な数の話より



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