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今週のとっても嬉しかったこと

この春から夏のあいだに、すごくすごく身近に感じながら過ごした女性がいて、私は彼女のいろんな面が大好きで、共感はそれは多く、手にとるように思いをかんじられる気がすることもあるくらい。生きてきた境遇は全く違うと思うけれどなぜか共感が多くて不思議。
心のいろんな声をあまりにすんなりと、自然に共有できるような気がする、そして共有したくなるような安心感を与え合える気がする数少ない私に取っては貴重な人です。

小さいことだけど、興味の対象もたまに重なったりします。
同じフローリストさんが気になっていたり、その方が私がずっと追いかけていたカフェでイベントしたり、お互いアマゾンプライムでおんなじ映画見てたり、何より、はじまりは同じお花屋さんを好きだったこと。

(いま思うと、同じお花屋さんが好き、っていうのは、いい友になれるかなれないかのバロメーターになるんでないかな?とふと思っちゃう)

でもね、
わたしは不安もあったのよ
何せ数回しか会ったことがない仲だから。普段は無欲で何も求めず、彼女の、わたしの、ありのままの自然なやりとりをたのしめる。でも、たまに心配性の私が顔を出してきたりもする。リアルに会えていないのに、一方的に身近に感じているだけじゃないの?いろんなやりとりだって本当はどう受け取ってもらっているかわからないじゃない?とか。彼女が喜ぶようなことが頭に浮かんでも、たいてい躊躇する。言い出さない。わたしは彼女の気持ちとか心を大事に思っているので、軽々しく喜ばせたりしたくないのだ。だから、結果、刺激的な幸福や楽しい時間はあまり提供できていないような気がするんだけど(つまんないかなーとか思っちゃうけど)でも、そうなっている。
心配性の"アタシ"は、たまに登場してきて頭の中にちんまりしばらくおすわりしてる。やっかい。

そんなとき、明るい調子でユーモアと愛を携えて、また彼女のメッセージが飛んできたりすると、全て解決するのです。

"アタシ"はパッと姿をけしてくれる。
一気に気持ちがカラッと晴れ上がる。
そのときの自分も好きだし、そんなメッセージをなんの気無しにうてちゃう彼女がやっぱり大好き!

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そんな彼女が、
ブログに素晴らしい日記を書いてくれたのです。
私に取っては宝物のように思える記事だった。
身に余るような内容に思えたけど
素直にうれしくて、ありがたくて、滅多にないご縁だと、改めて感じて、大切にしたいという思いがひときわ増すのでした。

大切に思っていることを
彼女の心が受け取ってくれていて
喜んでくれていたこと
何よりほっとして、安心して、うれしかった。

少しでもお役に立てたこともあったこと、なによりだった

それをわざわざ文字にして書き出してくれてありがとう。
そして、こちらこそ、いつもありがとう

私は変わらず彼女に対して無欲に、あたたかくいたいと思っている。