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遠野物語とTwitter


和装髪飾りを製作している、花翁の松永です。
日々の製作、感じた事を
とうとうたらたり たらりらと…

今日は、読書感想文です。

こんなん、作ってます


…………………

口語訳 遠野物語 

柳田国男
訳 佐藤誠輔
注 小田富英


本文はもちろんのこと。
訳者あとがきに
グッとくるものがありました。


……………………………………
『遠野物語』(とおのものがたり)は、柳田国男が明治43年(1910年)に発表した、岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを記した説話集
…………………Wikipediaより…

あとがきに書いてあった、
遠野物語の訳者の奥さまが、旦那さまが書かれた口語訳を読んだ感想です。

「言いにくいけど…、限りなくおもしろくないなっす。このお話」
「でも、わかりやすいがんすよ。口語訳の方が」


原典に表現として使われている、今は使わない言葉。そこに雰囲気を読むのに…という事でしょう。
関西弁漫才を標準語にした時のような
白けた感。味気なさ。
みたいな感じでしょうか。

わたしは、古典はさっぱりで原文は何回も挫折しましたので「わかりやすいがんす」に頷くばかりです。

原典では、
口語「〇〇があった」を文語では助動詞「き」「けり」を使って、意味をかきわける。「ありき」なら自分で本当に見た事、「ありけり」なら見てはいないがそう伝えきいた…というような細かな書き分けが随所に…(NHK100分で名著 遠野物語 石井正乙 参照)


そしてあとがきはこう締めくくられています。

"この口語訳が橋渡しとなって、多くの方々が柳田国男の原典へと読み進まれることを願っております。"


…………………
この言葉に、
訳者佐藤先生の"橋渡し"としての
お仕事、使命感に心打たれました。

並ぶつもりは毛頭ありませんが、
わたしはハレ日に使う髪飾りを作っています。
1人の表現者でありたいと常々思っていますが、大した知識、大それた感性はないのです。
遠野物語の原典を読む古典読解力もないですし。

それでも、この"橋渡し"という言葉に救われます。

最も良い物、世の真理のような"原典"への小さな橋渡しにはなれるんじゃないか…
そう思えたのです。


定められた誰でもない人の、
何か作ったり、何か喋ったり。
そのひとこぼれを取れば原典に近くはない。
けれど、
今より深い洞察をしてくれる次の川へ。
さらなる流れ、呼び水、
くらいにはなれるんじゃないか。
そう思えました。


みんな知ってるTwitter。
最初見た時、
承認欲求と罵詈雑言の巨大な穴のように思えました。詩や歌のような洗練さはない。

けれどバスった投稿を見ていると、
ひとつの真理、
子猫は可愛いとかも含めてです、
人の根源を指し示したような"原典"に通ずる流れを感じられなくもない。


一切を留め置かない。
みんなが雑多な何かを流していく。
それは一見 罵詈雑言ではあるけれど。
いつしか知らない内に研磨され真意に導く流れに…

なんだか、素敵な世の中。
全くの他人同士が、隣りあってシェアして、
研磨しあい、

ああ、そうだったのよ
それよ、それよ、それがいい

巨大な共感で持って
巨大な認識を作って
それを共有する

なんて、素敵な雑言!

いつか見た科学番組のCGがよぎります。

脳内のシナプスの千本の手に
信号が共鳴して輝きが波のようにうねる。

まさに。


人類がたどり着く先の真理。
それが、
生まれたての子猫のあくびする動画
だったとしてもですよ。

薄絹と絹糸の髪飾りを製作しています。
文はどうあれ…
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