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『久米宏です。〜ニュースステーションはザ・ベストテンだった』 朝日文庫 久米宏著

人は二十歳ごろにふれたものに、その後、ずっと影響されつづけていくという。音楽やファッション、メイクといった趣味嗜好に関する基本的な価値観のことだ。そんな、都市伝説のような話を聞いたことがあった。自分を振り返ってみると、あながちウソではないような気がする。

かつて、『ニュースステーション』という番組があった。テレビ朝日系列が放送していたニュース番組。現在の『報道ステーション』の前身となる番組のことだ。わたしはこの番組が大好きであった。放送開始は1985(昭和60)年10月7日。今から38年も前のスタート日を覚えているのは、わたしが大学1年生の秋だったことによる。1年間の浪人生活の末、第一志望ではなかったものの関東圏の国公立大学に進み、一人暮らしの学生生活を始めた。大学という講義に出席し、体育会クラブに所属。数種類のアルバイトをかけもちしていたころ。その番組は鳴り物入りで始まった。司会者というかニュースキャスターは、久米宏さんであった。この久米さんが、かっこよかった。都会的なスタジオセットを背景に、スーツをビシッと着こなし、歯に衣着せぬ発言で世の中のできごとに切り込み、時にハスから構えて、スカッと政治経済の問題に自らの考えをコメントしていた。

のちに、就職活動でマスコミ業界を目指そうと思ったのは、この番組と久米さんの影響によるものが大きい。テレビ局への入社はかなわなかったけれど、広告代理店という業界の一端に落ち着いた。

18年間つづき、「ニュース番組を変えた」と言われた同番組も、最終回を迎えることとなる。わたしは、この最終回もどんな終わり方をするのだろう、と興味津々としてテレビを見つめていた。いわゆる「久米さんが手酌でビールを飲むシーン」というものである。わたしは、そのシーンの少し前の話が圧倒的に印象に残っている。それは、こんなくだりだった。「僕は小学校1年から6年まで、通信簿の中に通信欄というものがあって、先生から母親や父親へのメッセージだったのですが、同じことがいつも書いてありました。久米くんは落ち着きがない、飽きっぽい、持続性がない、協調性がない。ずーっと1年から6年まで同じで、もうコンプレックスにさえなっていたのですが。小学校の時の先生、一人ぐらい見ていらっしゃいませんかね。18年半やりましたよ、あなた。本当に僕は偉いと思うんだ」

最高視聴率34.8%。平均でも14.4%を稼いだ稀有な番組。この斬新なニュース番組がどのようにできて、どのように終わったのか。舞台裏が明かされた本がおもしろくないわけがない。本の副題は「ニュースステーションはザ・ベストテンだった」。わたしは、333ページを一気に読んでしまった。そして、バブル経済前夜と呼ばれた、あのころの時代の空気を走馬灯のように思い起こした。ラジオからテレビへ。一家団らんという愛おしい習慣が残っていた時代の、その郷愁がよみがえってきた。

人生無駄なし、という処世訓のようにも読めるし、高度経済成長時のメディア史というようにも読める。あのころの、少々甲高い久米さんの軽妙なしゃべり口がよみがえってくるような、そんな名口調で書かれている。学生時代からのできごとがフラッシュバックされるような内容に、こころを奪われる一冊となった。

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