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着信拒否するとか電話番号を変えるとか

あきらかにフラれるルートに入っているのに、いやいやまだ大丈夫なんじゃないか、おじさまは私のことを誤解してるだけなんじゃないか、私もっといい所あるんです、ちょっといつも気どり過ぎちゃってそれを全然出せてないだけなんです‥‥!
という思考に陥りがちな私である。
おじさまと別れたくなさすぎて目の前の現実を直視できず、ほそ〜〜い糸にしがみついてしまうタイプ。
そして私とまったく正反対な性質の母に呆れられる。
「1ヶ月半も連絡がないの?そんなのもうダメに決まってるじゃない。馬鹿ね」
ガ────ン。
何もそんなはっきり言わなくても‥‥。


そんな馬鹿な私だが、自分から終わりにする決意をしたこともある。
『私‥‥いつ来るかわからないおじさまからの電話を待って一喜一憂する人生でいいんだっけ?』
と、はたと気づくのだ。


そんな時、メールの着信拒否や電話番号を変えるという選択について考える。
(注:私の好きになるおじさま世代はLINEをしない人が多く、電話やメールが普通)


着信拒否はともかく、電話番号を変えるというのは割と勇気のいることだ。
関係各位への連絡も面倒だし、昔お別れした懐かしいおじさまが花野のことを思い出して電話くれるかもしれなくない?その可能性までつぶしちゃっていいの?などと、心は千々に乱れ、結局思いとどまったりする。(私あるある)


しかし。
本当に電話番号を変えたことがあった。
ずっと待ち焦がれていた電話をたまたま取り損なって、慌てて折り返したらつながらず、しかもそれが一度や二度のことではなく、こんなのもう懲り懲り、このままじゃ私気が狂うかも、目の前のおじさまへの恋心と執着心を断ち切らなきゃこの先一歩も前に進めない‥‥!という気持ちがどんどん積み上がり、ついに爆発したのだ。
そして、携帯電話ともども番号まで新しくした。


大江健三郎が人と絶交をする話を聞いたことがある。
誰かと喧嘩をした時、明日になればきっと自分の怒りがおさまるのはわかっているのだが、今のこの怒りを大事にしたい、はっきりとした形にしたいと思って、絶縁状を書いて郵便ポストに投函する、というような話だったと思う。


電話番号を変えるという行動もそれに似ている。それっておじさまへの絶縁状のようなものなのだ。
(ノーベル賞作家と一緒にするのもアレなのだが)


とはいえ、そもそも電話番号を変えたことすらおじさまが気づいてくれなかったら、それは一人相撲もいいところだ。
おじさまが私に電話しようとした時に、
──お掛けになった電話番号は現在使われておりません──
のアナウンスが流れて初めて、それが絶縁状の役割を果たすのだから。


しかし、おかげさまで‥‥(?)
その時ちゃんとおじさまが気づいてくれていたことが、しばらく後になってわかった。
偶然話す機会があったのだ。
当たり障りのない会話から一瞬間が空いた時、おじさまが
「あなた電話番号変えただろ」
と突然言った。
「知ってたの!?一生気づかないかと思った」
「そんなわけないだろ。何度も電話してみたよ」
この短い会話だけで、私の傷んでいた心は救われた。


もう一つ、おまけみたいなこともあった。
「昔お別れした懐かしいおじさま」の一人とも後年会話を交わす機会があったのだ。
お別れして相当時間が経っていたので、もはや気まずさも特に無く「久しぶりですね」「お元気でしたか」などと話ができたのだが、私が「ずっと、どうしていらっしゃるかなと思ってました」と言ったところ、
「その割にあなたは電話番号変えましたよね」
と言われたのだ。
そのおじさまの方から電話をくれることは絶対あり得ないと思っていたので、驚くと同時に私は素直に喜んだ。
ラブレターでももらったような気持ちだった。


いつも私ばっかりおじさまのことを思い出している気がしていたけど、存外おじさまも私のことを思い出してくれることがあるんだなと思えた。
勇気を出して電話番号を変えたからこそ気づけたことだった。

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