見出し画像

ちょっとやそっとじゃ変わらない

ちょっとしたことで相手への気持ちが冷める話ってわりと聞く。
特に10代の頃なんて、女友達にも男友達にもそんな話がよくあった。


デートの時に降りる駅を間違えただの、手がすべってお財布を床に落としただの、側溝に片足が落ちただの。
え、そこ笑うところじゃなくて?!
と思うが、案外そんなことを端緒に別れたという話を耳にした。


しかし、みんな大人になるにつれてもっと深刻な事案が発生するので、些末なエピソードで萎えた話は減ってくる。
彼が冷たいだの、メールが放置されてるだの、多忙を理由に会ってくれないだの、ドタキャンされただの、もう‥‥!二度と「忙しい」って言わないで!
みたいな恋愛の存続危機の方がよほど重大なのだ。(ぜんぶ私の話か)


‥‥‥‥。
冷たくされるという事案はさておき‥‥。


私は若い頃から、好きな人のあばたはえくぼに見える方だ。
一般的には引かれるような所も、むしろ微笑ましく受け止めることができる。
お寿司屋さんのカウンターで、そこに居合わせたおじさん全員でγ-GTPや腰痛の話で持ちきりになってもオッケイだし、素敵なレストランで待ち合わせたら後ろ髪がキバタンみたいにはねたまま登場して来られても全然オッケイだ。

キバタン

よく、一昔前の物言いをしたりする人を笑う風潮があると思うが、私はむしろ胸がときめく。
おじさまといると割と日常茶飯事だなのだが。
部屋に来た時に、
「ちょっと手ぬぐい借りてもいいですか」
とか普通に言われる。
タオルのことだ。


あるいは歯を磨いている時などのかーーーぺっというやつ。
「ありえない」
「絶対イヤ」
という声をよく聞くが、私は大丈夫だ。
まあ、若い頃はちょっとびっくりした。だって女の子って誰もそんなことしないし。
でもおじさんってまずみんなあれをやるのだ。
私が好きになるおじさまはみんなすごく素敵なのだが(わたし比)、とりわけ素敵で一分の隙も無いようなおじさまでさえやっているのを見て、
「ああ、これはもう全員やることなのだな」
としみじみ悟って以来、びっくりもしなければツッコみもしなくなった。
おしぼりで顔を拭いてもいいし、爪楊枝も(音さえ出さなければ)どうぞどうぞと思う。
白髪だって、まったく気にせず染めない人が好きだ。


そして、例え話で出てくる歌や映画や俳優が昭和な感じだとすごく嬉しくなる。
古い!なんていう感想よりも、待ってました!と思う。
「西田佐知子いいですよね」
「社長シリーズウケますよね」
「私、原節子と司葉子と若尾文子が理想なんです」
などと言っても、普通に会話が成り立つのが幸せなのだ。
中村勘三郎の話をしていたら途中で話が噛み合わなくなり「ん?」と思ったら、私は十八代目について、おじさまは十七代目について話していたことがわかったりすると嬉しくなる。
あるいはおじさまに「あそこ、昔は都電が走っててね」とか教えられると楽し過ぎて悶える。


頭の中が面白くて、昔の文化の良いところも悪いところも切ないところも肌で知っていて、人を差別しない人ならそれでいいのだ。
いわゆる「おじさんっぽい」所なんて私にとって欠点でも何でもない。
逆に、安心感とともに恋愛感情が高まる。


伊達に若い頃からずっとおじさんを好きなんじゃないのだ。
ちょっとやそっとじゃ気持ちは揺るがない。


この記事が参加している募集

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?