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「センセイの鞄」のこと

◆レビューとかじゃ全然なく、ただ単に年の差恋愛について自分と重ねて思うところを書いただけのものです。(の割に一部ネタバレしちゃってるのですみません)

しかも今手元に無いので記憶を頼りに書いてます。


「センセイの鞄」(川上弘美 著)
きっとご存知の方も多いであろうし、あらすじは書かないけど、70歳ぐらいのセンセイと30代半ば過ぎのツキコさんという、元教師と元教え子の恋の話だ。


私は何年だか前にこの小説を読んだ時、それまでにない感銘を受けた。
こんな自分とかぶる話ある?!と思った。
(実年齢や職業がかぶるということではなくて)
しかも、このぐらい年の離れた二人の恋愛を女の側から女の作家が書いたというところに非常な感動と共感を覚えた。
(男の人が書くものは結構ある気がする)


ただ、やわらかい表現でささやかなエピソードが連なっていくので、きっと二人はセックスまでには至らないのだろうと思っていた。
でも読み進める途中で「あれ‥‥ひょっとしてちゃんとセックスもする?!そこも書いてくれるの?!」と思ったら、本当に書かれていた。
最高だった。
書いてくれてありがとうございます‥‥!と感謝の念すら起こった。


しかし、そこについては賛否両論があるらしく、否定の方はおもに、
「年老いた人と若い女のセックスには若干の嫌悪感があった」
「セックスはしない方が二人の愛が純粋な感じでよかったのではないか」
みたいな感じのようだ。
あ〜〜〜‥‥‥‥そうなんだ。なるほどなるほど。
きっと私も世間からそう思われているのだろうな‥‥。


いやいやいや。
お気持ちはわからないではないがそこは放っておいてほしい。
私たちだって恋心は普通の同世代の人たちとおんなじなのだ。
おんなじ気持ちでおじさまのことを愛しているのだ。
そんなセックス抜きのおとぎ話みたいなことだけじゃ嫌なのだ。


物語の途中、センセイが「自分にはセックスができないかもしれない」と思って悩んでいる時、ツキコさんが「そんなことしなくてもいつもみたいにキスしたりぎゅっとしてくれるだけでいいんです」と思うシーンがあった。
私もそう思うこともある。
それだけでいいんですと思うこともある。
が、本当はセックスしたいし、おじさまにもしたいと思ってほしい。
たとえできなくてもいいから「したい」とは思ってほしい。


まあ、それは複雑で難しい話なのでさておいて、私が一番好きな場面は、心細くなったツキコさんが思わず「センセイ」と呼ぶと、センセイも「ツキコさん」と呼び返してくれるところだ。
お互いがお互いの名前をただ呼び合う‥‥。
なんて良い場面だろ。
私の大好きな映画「Fifty Shades of Grey」の中にも似たようなシーンが出てくる。お互いの気持ちがあふれているのにうまく言葉にできない時、切実な顔で二人が名前を呼び合うのだ。
それって、お互いがちょうど同じぐらい想い合っている証だなと思う。
自分が心細くなったり、やり場のない愛しい気持ちがあふれ出てしまって思わず相手の名前を呼ぶ。
もしその時に彼が「なあに?」とか「どうしたの?」ではなく「花野」って呼び返してくれたとしたら‥‥。
どんなに嬉しくて満たされることだろう‥‥。


あ、自分の話になってしまった。
私はつねづね名前を呼ばれるということの意味について考えているので、この場面に反応しすぎなのかもしれない。


ちなみに、センセイ自体は私の好みのタイプとはちょっと違う。(聞いてない)
大体の好みの路線としては合っているのだが、物腰がちょっと柔らかすぎるというか。
ツキコさんがカミナリを怖がった時にセンセイが「抱っこしてあげましょう」と言うのだが、そこは「抱いてあげましょう」の方がいいなと思った。(口出しするところじゃない)


でもツキコさんみたいな人って私の好きそうなおじさまを片っ端からかっさらって行ってしまいそうな気がする。
センセイの鞄が上梓された頃は、川上弘美の周りのおじさま達がこぞって
「あのモデルは俺だ」
と張り合っていたという話も聞く。
そうだろうそうだろう。わかるわかる。
ツキコさん‥というか川上弘美みたいな人って素敵だもんな。
私は彼女の小説は「センセイの鞄」以外ほとんど読んだことがないが、たとえば誰かへの追悼や寄稿には触れる機会があり、その度にそのおっとり優しくそれでいて鋭い文章にいつも心を動かされる。いいなと思っている。


ただ‥‥!私の近くにはいてほしくないなと思う。
あんな人と比べられたら私はおじさまに永遠に片想いすることになっちゃうからな。


ちょっと何を言いたいかわからない感じになってしまったが、最近「センセイの鞄」を思い出すことが何度かあったので、書きたくなってつい書いてしまいました。






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