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本と付箋とメッセージ

彼はいつもひとりだ。
ぼんやりと車窓から外を眺めていることもあるが、大抵は本を読んでいる。
私が降りるひとつ前のバス停にある高校の制服。
毎朝、同じ車内で見かけるだけ。
ただそれだけなのに目が離せない。
先週、本を読み終えたのだろう。彼の持っているのは文庫本からハードカバーに変わっていた。
少し長めの前髪とメガネの下で伏し目がちに文字を追う長いまつ毛を盗み見ていることはきっと知られてはいない…はず。

毎朝15分だけ乗り合わせるバス。いつもなら何事もなく過ぎていくのだけれど、今日は違った。
通路を隔てた隣の席に座る彼が本を落としたので拾って渡した。がたんと揺れた拍子に彼の手を離れた本を無意識に拾い上げ、次の瞬間、なんていっていいのかわからなくなってしまった。
「あ…これ、えーっと…」
「ありがとう」
初めて声を聞いた。ちょっと癖のある柔らかい声。
ちょっと低いけれど耳馴染みのいい声。
いいなと思った。声を聞いて、もっと惹かれてしまった。
「この本…面白い?」
もう一度だけ声が聞きたくて、必死で言葉をつなごうとして質問をすると
「これ、この間の文学賞を受賞した本。面白いよ。」
彼は笑顔で答えてバスを降りていった。

学校の帰り道、本屋さんに寄って参考書以外の本を久しぶりに買う。
もちろん朝の本。これが面白くて帰宅してからずっと読んでいた。どこで本を閉じていいかわからなくて、気がつけば半分まで読み進めてしまって午前3時。
「この時間って、深夜なのか早朝なのかな」ってよくわからないことを呟きながら、真夜中と朝の隙間とベッドに潜り込んで目覚ましのアラームを3つセットした。
翌朝、アラームのおかげで目は覚めたものの、ぼんやりと本の世界に片足を突っ込んで学校に向かう。手にしているのは昨日の本。少女漫画家と担当編集、そして彼らの周りの物語。ショートストーリーの程はとっているけれど、繋がっている物語。向かいああせの停留所で言葉を交わさずに恋をする物語がとても好きで、今日はバスの中でもう一度読もうと決めて家を出た。先は読みたいけれど幸せな気持ちでバスの中を過ごしたい。
後ろから2番目、右側の席が私の定位置。まだ、乗る人の少ない車内で本を開いて読み始めた。2つ先の団地入り口で彼は乗ってくる。本を見せて話しかけられたらいいなと思っていたら、バス停に着く前に夜ふかしのせいで意識を手放していた。
「そろそろ降りるんじゃない?大丈夫?」
前に乗っていた親切なおばさまが声をかけて起こしてくれた。おかげで乗り過ごさずに済んだ。大慌てで心臓をバクバクさせながら下車。
しまった…居眠りしてた…彼の顔を見ずに今日を始めるなんて頑張れない。泣いてやる!おまけに寝顔を見られているのかもしれない…これは黒歴史だ!
明日から1本前のバスに乗るしかないかな…でも、早すぎるし…
とぼとぼという言葉が似合う歩き方で教室に向かうしかなかった。

登校時の失敗にテンションが下がったまま、ダメなオーラを発して席に着く。こんな日は察して友達もそっとしておいてくれるようで、一人で存分に落ち込む。
こうなったら、希望はあの本の続きしかないとばかりにベージをめくった。めくった所に覚えのない水色の付箋が。
「自分、この話 好きです」
何が起きたか分からなかった。
これはもしや、バスで隣の彼からのメッセージ?
え?そんなことある?あっていの?同じ話が好きとか…嬉しい!小さくて、それでいて丁寧な文字は私のテンションを爆上げするのに十分だった。

翌朝、寝顔見られたかも問題と付箋のメッセージを天秤にかけた結果、いつもの時間にバス停に向かう。
あの話のように気持ちが伝わらなくても、せめてメッセージ返し出来たらいいなと思いながら付箋にメッセージを書いて。
しかし、世界は甘くないし私はヘタレだった。
バスに乗りこんで来た彼を直視することは出来ず、「私もあの話が好きです。他にオススメがあったら教えてください」と書いた付箋をリュックの前ポケットから出して彼の本に貼るタイミングも勇気も見当たらない。
チラチラと盗み見て危うく目が合いそうになっては本に目を落とすを繰り返しているばかり。 
あと5分足らずで彼の降りる停留所。付箋を手に持ちタイミングをうかがった。少女漫画で心臓がうるさいって見るけれど、こういう時、本当に心臓がうるさいのだと知った。
バスのスピードがゆっくりになり始め、彼が本を閉じかけるのが目に入った。
「あっ…」
急いで貼ったつもりの付箋は、不格好に表紙にくっついていた。それを確認した彼は見る間に耳まで真っ赤になって席を立ち上がり、すたすたと降り口へと向かう。最後に真っ赤になっているだろう私の方を見て小さく手を振ってくれた。

今、私の手にあるのは彼のおすすめの小説。彼の好きなシーンに付箋を貼ってくれているようで、思わずそのページを開いた。

『君をずっと見ていた。いつか僕と君の恋の話をしよう。』



本と付箋とメッセージ(2000字)
【One Phrase To Story 企画作品】
コアフレーズ提供:花梛
『真夜中と朝の隙間』
本文執筆:花梛

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