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9/11 あの日から

あの事件で元取引先の知人が亡くなった。

彼女の旦那さんと翌年の2002年にお会したのを今でも覚えている。

『あれから一年以上経ってもね、僕はところどころで亡き妻が近くに

いるのを感じるんだよ。例えばね、ふっとした時に時計を見ると11:11とか

並んでいるんだ。偶然じゃないよね。』

私と友人(元上司でもある)は彼の言葉一つひとつを深く聞き、頷き涙した。

本当は彼に「あなたの言っていることすごくわかります。私も祖父が亡くなった

数日後に祖父母宅にカラスアゲハが家に入ってきて丸1日半壁に停まって

いたのを見て祖父が蝶になって帰ってきたと確信したんです。

だからわかります。」そう言いたかった。

けれどまだ29歳の私には初対面の年上の方にそんなこと言えなかった。

私にできたのはひたすら耳を傾け彼の気持ちに寄り添うだけだった。

本当はグランドゼロに行って手を合せたかった。

でもそこに行くことすらできなかった。それぐらい辛くて怖い出来事だった。

***

2001年のあの日から全てが変わった。

アメリカは変わった。

私も変わった。

あの事件は、私への wake-up call (注意勧告)だった。

WTC南棟では北棟の衝撃を受け避難する人々に向けて「このビルは大丈夫です。フロアに戻って下さい。」と館内放送が流れ避難する人々の足を止めた。多くの人はもうここまで降りてしまったからと降り続け、また半数は館内放送に従いフロアに引き返していった。そして地上から消防士が非常階段をどんどん上がって行き避難者を手助けした。

アメリカに生活する上で「自分の身は自分で守れ」は必須だが、あの日

を境に私は心に決めた。

誰が何と言おうとも自分の行動は自分で判断し実行しようと。

***

東日本大震災が起こった時に私は東京に住んでいた。

旦那は帰宅困難になり12日の朝に帰宅した。

同日に1号機原子炉建屋が爆発し「直ちに健康被害はありません。」と繰り返さ

れる政府の発表に疑問を抱くしかなかった。

旦那と何度も話し合った挙句、翌日に家族全員で実家へ避難した。

***

去年のロックダウンを川切りに州知事は出るな、行くな、集まるなを一年近く

言い続けた。(知事自身はパーティーに出席してたのに)

マスクは不要と当初言ったCDCはその後マスクをしろと言ったり、とにかく

公人の発言に翻弄させられ、その度に旦那と話合って我が家の方針を決めた。



自分で情報を集め、学習し後悔しないよう判断をし行動にうつす。

その日、その時のベストを尽くす。

思考を止めない。


9月11日:深い悲しみの一日、犠牲者の方のご冥福を心よりお祈りします。

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