無条件の愛


「自分は無条件に愛されている」
ということを認めて受け入れると、
世界の全てが自分のことを無条件に愛してくれていることになる。

隣の家のおじさんも、これから出会うあの人も、今日挨拶に行く取引先の山田さんも、きっと6才の頃いじめっこだったK子ちゃんも、お部屋のサンスベリアも、コップの水も、はさみも、りんごも、電信柱も、月も星も、ドアノブも。

わたしのことを、無条件に愛してくれているのだ。

そうなると、わーーー、四方八方から絶え間なく愛されてる!!
「こんなありがたい話はない」ということで、
もう本当にありがとうございます。という気持ちになり、ひとまず全てに対して感謝といった感情になる。

また、「こちらこそ」
ということで、こちらも全てのものに対して無条件の愛を持って接しようとなる。

世界中のありとあらゆるものから、
部屋中のありとあらゆるものから、
今もなお無条件の愛がドバドバ注がれてると思うと、足りなくなるなんてことは一切ない。

こちらが目に入って意識できるものの数よりも、圧倒的に多いんだから。

だから、目に入って意識できるものに対しては、全て無条件の愛を注いでも、全く問題ないのだ。
常に供給されてる。(それも、とんでもない量を)

卵が先か、鶏が先か、
GIVEが先か、TAKEが先か
と言った話があるが、
どちらでもなく、「ある」が存在してるぞ。
と気づく。

与えたものが返ってくる
という言葉も、
そんなみみっちいこと言うなって。
既に世界中から手に負えないほどに与えられてる。
という気持ちになる。

これはすごい。
とんでもないもの発明した。
そんな気分になったのです。

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