悲しみが優しさを生むわけじゃない

昨日お酒を飲んでたら、年下の女の子からこう聞かれた
「でも、悲しいことを経験した人は、その分優しくなれますよね」

うーん。わたしは、少し違うと思ってて

「優しくなろうとした人が、優しくなるんだと思う。」

だって、悲しい経験がなくても、とても優しくなることは出来るじゃん?

「確かに〜」

優しさって、筋トレと似てると思う。

ある一定値の筋肉量が欲しければ、
それに見合う一定量の負荷を筋肉に与える必要がある。

ただ、それを
ベンチプレスでやるか、
自重トレーニングでやるか
の違いな気がする。

幼い頃とかにインパクトの強い悲しいことがある人は、
人生の初期設定に、ベンチプレスが用意されてる感じ。
「これを持ち上げられるようになったら、その時はお望みの筋肉がついてることになりますよ〜。」といった具合で、ある意味わかりやすい。

(この会話で言うところの)わかりやすい悲しいことが少ない人は、
(個人的には別の形で同等量の苦労が存在してると思うけど、そこはひとまず置いておく)は、
自重トレーニングでその目標値までの筋肉をつける感じ。
「これを持ち上げられるようになればいい。」というようなわかりやすい基準が用意されてない代わりに、自分の意思で負荷をかけていく。

そして両者とも、やってもやらなくてもいい。(とても重要)

ただ、前者は、
そのままにしておくと常に人生の中にベンチプレスの重みを感じることになるから、持ち上げられるようになった方が後々楽になる。
放っておくと重みで体が動かなくなることもあるからとても注意が必要だ。
(稀に規格外の重さのベンチプレスが用意されてる場合があって、そんなとき「神は超えられない試練は与えない」という誰目線かによって意味がずいぶん変わる言葉が浮かんだりするけど、今回は一般論にとどめておこう)

後者も、
己の健康のためにやっておいた方がいい。
やらなくても差し迫った不都合はないけれど、人生の長い旅路をサバイブするにはある程度の筋肉があった方がいい。
どこかでガタをきたす可能性が上がるから。
そして憧れる世界へ行くには一定の筋肉量が通行証になる場合がある。

「だから、ベンチプレスを持ち上げる努力をしたあなたは、とってもえらいしすごいと思う。見て見ぬふりをして悲しみの底の心地よさに浸ることもできた。ちゃぶ台ひっくり返してグレることだってできた」

そう言うと、彼女は、
「じゃあ、持ち上げられる人と、持ち上げられない人の差はなんだと思いますか?花海さんはなんだったと思いますか?」

うーん、それについてはいっぱい考えたけど、結局ラッキーだったとしか言いようがないんだよね。ラッキーだったんだと思う。
あなたはどうだった?

「わたしは、やり方を教えてくれる人がたまたまいた。それに、その時体力があった」

そうなんだよ。
本でも人でも天啓でも、その知識なり発想なりがやってきたこと、そしてその時それをする体力があったこと、それってラッキーだったとしか言えないよね。

なんであの本に出会えたか、
なんであの人に出会えたか、
なんであの時体力があったか、
って思うと、


あの人に出会えたおかげ、その場所に行くきっかけのおかげ、そのきっかけを作ってくれたYouTubeのおかげ、ラリー・ペイジのおかげ、ラリー・ペイジのお母さんのおかげ、マインドを支えてくれた友達がいてくれたおかげ、学校に行かせてくれた親のおかげ、ひっくるめてこれまでの人生の流れがあったおかげ、産んでくれた親のおかげ、パパママを産んでくれたおじいちゃんおばあちゃんのおかげ、そのまたおじいちゃんおばあちゃんのおかげ、ご先祖さまのおかげだし、それを食べないでくれたマンモスのおかげだし、この地球があったおかげだし、地球を存在させてくれた宇宙のおかげだし…..

ラッキーとしか言いようがないよね〜〜。

「じゃあ、ラッキーじゃない人はどうすればいいんでしょう」

それは、わたしたちみたいに偶然ラッキーの恩恵に授かって、ラッキーが少し余ってる人間が、
ラッキーがあと1足りないって人とかに1渡して、体力が2足りないって人に2差し出したりしてみて、循環していけばいいんじゃないかな。

ありがたい事に恩恵に授かったんだから、
ありあまる分は循環に回していけばいい気がするよね。
循環してるから減ることはないし。

流していけば、必要で受け取れる人がどこかで受け取る
くらいの感じでいいんじゃないかな。

それより、
ラッキーの恩恵に授かって、今すでにハッピーになれたんだから、
その自分のハッピーの純度をどんどん濃くしていけばいいんだと思う。

パッピー放出しながら私が通ります〜
ご自由にお取りください〜
くらいな感じで。
(しあわせになろうとした人しか、しあわせを受け取ることができない。でも、しあわせになりたくなる空気をドバドバさせることは出来る)

自分を愛と光で満たした分だけ、循環が増えると思ってさ。

「確かに〜〜」

なんか、こんな偉そうに年下の子に話せるようになったものなんだなと、
自分の30歳を少しだけ感じました。


p.s.
20代前半でここまで色んなことに向き合ってるその子は、
ファッションもおしゃれで、英語も喋れて、白旗あげたくなるほど優秀で、Z世代は想像を超えてイケてる、やばめ。



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