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吸引力の強い男

 その日、私はショッピングカートをゴロゴロ引っ張っていた。
 月に2回ほど開催されるワイン2割引の日を目当てに、近所のスーパーマーケットに、買い物に来ていたのだ。

 会計を終え、カートに戦利品のワインをつめていると、真横から独特な匂いが漂ってきた。
 ポマードだろうか。
 スーパーマーケットという場にそぐわない重たい独特な匂いに、思わず目をやる。
 するとそこには、スーツをビシッと着て、頭をビタッとなでつけた若い男が、買い物を終えて袋詰めをしていた。

 ほう。

 何に感心するでもなく思う。
 匂い同様、男の着ているスーツもなかなか独特なものだった。紺やグレーといった定番の色ではなく、極細のストライプが入った、真っ青な色のスーツだったのだ。何となく、スネ夫が大人になったら着そうなスーツだな、と思った。

 長身でスラリとして、面長。顔の造作もなかなかに整っているが、その目はどことなく、オイリーな輝きを放っている。
 私はもう一度、

 ほう。

 と思った。
 人を値踏みするように見てはならない。
 それは重々承知しているのだが、でも、《見てください》と言わんばかりの特徴的な姿に、どうしても私の目が引き寄せられてしまう。
 彼は実に、吸引力の強い男だ。
 もしかしたら人型ダイソンかもしれない。

 すっと横に目をやると、彼の横には、当然のようにパートナーと思しき女性がいた。正統派の長い黒髪。低くもなく高くもない、ちょうどいい背丈。細身で、普通にきれいな人である。

 この《普通に》という印象がかえって生々しい。びっくりするほどきれいな人より、普通にきれいな人のほうが、どことなく艶めかしいものだ。
 彼女は、しなだれかかるような頼りなさを醸しながら、くにゅりと彼氏に寄り添っている。

 吸引力と生々しさの共演。
 なんというか、お似合いである。

 土曜日の昼下がりのスーパーマーケットに、キメキメのストライプスーツは、やはり目を引く。こういう場所には、ストライプ柄よりもボーダー柄のほうが、牧歌的でおさまりがいい。ボーダー柄の生活感というのは人を安心させる。ボーダー柄を着ている人に、悪い人はいないような気すらしてくる。

 そういえば、ボーダー柄のスーツなんて見たことないなぁ、なんて思っていると、袋詰めを終えたストライプ男が、ストレッチでもするかのようにスッと左手を伸ばした。
 その動きに吸い寄せられるように、パートナーの女性が右手を伸ばす。

 二人の指と指が、あっという間に絡み合った。
 彼の吸引力が強さを証明するかのような一連の動きに目を見張る。これは《恋人繋ぎ》またの名を、《貝殻繋ぎ》と呼ばれる手の繋ぎ方である。

 二人はぬっぺりと寄り添いながら、エレベーターへと向かっていく。
 それを眺めながら、
 おや?
 と思った。スーパーの上の階は駐車場になっている。徒歩や自転車の客はエレベーターを使うことはない。ということは、二人は車で買い物に来ていたのだ。そのことに気づいた私の鼻息は、この上なく荒ぶってしまった。

 駐車場に向かう、ほんの僅かな時間でも、君達は手を繋がないといられないのか!


 駐車場なんて、三分もかからない。もしやこのカップルは、カップラーメン食べるときも、手を繋いで出来上がりを待ってるのだろうか。

 私はキスや抱擁を目撃したのと同じレベルの、気恥ずかしさを感じ、背中がムズムズした。 

 ここはスーパーマーケットだ。
 善良な市民が買い物をする場所だ。
 2割引のワインを求めて、買い物カートを走らせる場所なのだ。
 神聖な消費活動の場にそぐわぬ行動は慎んでもらいたい。

 去っていくカップルの背中めがけて、私は心の中でそう言い放っていた。 
 荒ぶるおばさん根性をどうにかなだめながら、私は息を整える。
 ワイン6本入りの重たいカートを、どっこいしょと引っ張り、私はスーパーを後にした。

 それにしても、あのストライプ男の吸引力はすさまじいものがあった。
 その出で立ちといい、当然のように恋人に左手を差し出す仕草といい、澱みない自信を感じさせた。

 何をするにも、自信は大きな武器になる。
 ブルーのストライプスーツを着ようとは思わないが、私も彼の仕草を真似れば、喪失しがちなおのれの自信を、失わずに生きられるかもしれない。
 いや、なんだかんだとここまで御託ごたくを並べてきたが、この際、はっきり言ってしまおう。 

 あの恋人繋ぎ、私もやってみたい。


 あの恋人繋ぎとやらが流行りだしたのは、いつ頃のことなのだろうか。
 私たち夫婦にも、一応、恋人時代というものがあったのだが、あんな繋ぎ方をしたことがあっただろうか。
 どちらにせよ、大昔のことなので、その記憶は忘却の彼方である。

 私は帰宅し、手を洗い、買ったものを冷蔵庫に収めた。
 そして、ストライプスーツ男がやったように、夫に向かって左手を伸ばしてみる。夫は一瞬、
 ん?
 という表情をした。
 私は強調するようにさらに腕を伸ばし、左手をヒラヒラと動かす。すると夫は、私の左手にテーブルに置いてあった茶筒をポンとのせ、

「お茶、飲む?」

 と言った。夫の
「お茶、飲む?」
 は、お茶が飲みたいから淹れてくれ、という意味だ。
 私はイラッとして夫に茶筒を返す。
 買い物から帰ってきたばかりの妻に、茶を淹れさせようという根性が気に入らない。

「違うでしょうよ。ほら!」

 と言って、再度左手を差し出すも、またもや茶筒を置かれてしまう。
 その様子はまるで、運動会のバトンリレーの練習さながらだ。

 夫からすれば、何の前触れもなく手を差し出されても、どうしたらいいのかわからないだろう。かといって、こちらも
「手を繋いでほしい」
 などと浮かれことは、口が裂けても言えない。
 恥ずかしいからだ。

 結婚してもう20年以上の時が過ぎた。共に過ごしてきた時間というものはバカにできない。きっと口に出さずとも、夫は私の思いを察してくれるに違いない。
 私は根気よく、左手を伸ばし続けた。
 不可解極まりない妻の行動に小首をかしげ、夫はもう一度、

「お茶」

 と言って、私の左手に茶筒を置く。
 私の左手が吸引できるものは、せいぜい茶筒くらいだという現実に肩を落とす。
「お茶、飲む?」
 壊れたレコードのように夫はその一言を繰り返す。どうやら、自分で淹れる気はないらしい。

 こうなったら、強い吸引力を目指して、私も彼のようにブルーのストライプスーツを着るべきだろうか。
 そんなことを思いながら、私はパカッと茶筒を開けた。







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