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人の気持ちに名札をつけない


人と関わっていると、相談を持ちかけられたり、
思わぬ状況で、ふと、誰かの気持ちを聞くことがある。
ちょっとした愚痴や、立ち話の中にも、
人の思いは含まれているものだと思う。

例えば、就職したばかりのAさんが
「同期のヤツが、仕事の憶えも早くて何でもソツなくこなすんだよ。
アイツを見てると、オレ、落ち込むんだよなぁ…」
と誰かに話したとする。
Aさんの一言を聞いて、
自分に自信がないんだなぁ
と思う人も入れば、
同期の人に嫉妬しているんだ
と思う人もいるかもしれない。
たった一言でも、受け取り方は様々だ。

しかしここでAさんに、
「お前は自分に自信がない人間だ」とか
「お前はその同期に嫉妬してるんだ」などと
相手の気持ちを断言して伝えてしまうことは、
Aさんの気持ちに「自信喪失」「嫉妬」というラベリングを
してしまうことになりかねない。
Aさんの落ち込みの中に、もし、それらの感情が含まれていたとしても、
その感情を、分類し、名付けることが出来るのはAさんだけだ。
人の気持ちをクイズのように、言い当てればいいものではない。
それを、私はこう思う、という主語なく、断言してしまうことは、
相手の心に土足で踏み入ることと似ている。

誰かの気持ちを、聞いた時、
それについて、自分自身がどう感じようと、それは自由だ。
しかし、それを口に出して伝えようとする時には、
「自分」が感じたこととして、きちんと、自分を主語にしないと、
相手の気持ちに勝手に名札をつけてしまう危険性がある。

自分の気持ちを伝える時に必要なのは、きちんと
これは「自分」の考えにすぎない、
ということを含ませることだと思う。
あなたはこう思っているはずだ、と言い切るのではなく、
私はこう感じたけど、あなたはどう?
という、呼応できる余裕が会話の中にないと、
相手の気持ちを、息苦しくさせてしまう。

しかし、こういうことは、身近な人であればあるほど、
誰かの気持ちを断言してしまいがちであるし、
自分の気持ちも、誰かに断言されてしまいがちだ。

自分の葛藤を吐露した時、その気持ちはこうだ、と
他者に断言されてしまうと、気持ちが弱っているせいで、
いかにもそれが正解のように感じてしまうかもしれない。
しかし、自分の感情を、不安、恐怖、嫉妬、憎悪などに分類して、
認めることができるのは自分だけだ。
自分の吐き出した感情を、他人にどうラベリングされても、
それを受け入れ、苦しむ必要はない。

相手の感情は相手のものだし、自分の感情は自分のものだ。

それを意識し、きちんと自分と他者を分離させて、
健康的な人間関係を築いていきたい。

今日、私はそんなことを思った。




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