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トースト警察

 いいかげん、トースターを買った方がいいのではないか。
 月に一度はそんなことを考えるのだが、未だ思い切れずにいる。

 我が家はこれまで、トースターのない生活を送ってきた。夫が米どころの出身で、基本的に朝はご飯と味噌汁だからだ。
 パンを焼くのは週に1度か2度。
 ずっとトースターなしでやってきたのだから、このままでもいいのではないか。そう思い始めると、新たに物を買うことに、二の足を踏んでしまう。

 我が家ではこれまで、パンを焼くときは、魚焼きグリルを使って凌いできた。

 しかし、これが結構難しい。
 ちょっと目を離した隙に、驚くほど焦げてしまう。トースターのように、ムラなくきれいに焼くには《ちょっとしたコツ》がいるのだ。

 そして私は、その《ちょっとしたコツ》を、未だ習得できていない。

 トースターのない生活をして23年。なぜ、うまく焼けないのだろう。おかしな話である。

 うなぎ職人には《串打ち3年、裂き8年、焼き一生》という格言がある。

 もしかしたら、魚焼きグリルで食パンを焼く技術は、うなぎを焼くのに匹敵するほどの、高い技術が必要なのだろうか。だとしたら、私が未だにパンを焦がすのも、致し方ないことのように思えてくる。

 しかし、仕方がないでは済まされない。

 私の夫は、焦がした食べものが嫌いな男だからだ。
 餃子の王将では、餃子の注文時に「よく焼き」とお願いすると、こんがりタヌキ色に仕上げてくれるらしいが、夫はこの「よく焼き」をよく思っていない。夫は、焦げたものは体に悪いと思っているのだ。

 そんな男に焦げたトーストを出そうものなら大変である。

 いつもトーストを食卓に出すときは、きれいに焼けた面を表にしておくのだが、夫はすぐさまパンを裏返し、焦げがないか目ざとく確認していく。

 私はこれを、職務質問と呼んでいる。

 焦げを検問するトースト警察の目を、くぐるのは不可能に近い。飲酒運転の検問をする警察官のように、トーストの焦げは厳しく取り締まられる。

 焦がしてしまったときは、包丁の先端で焦げをひっかき、こそげ落としてごまかすのだが、バレずに済んだ試しがない。毎回、きっちり検問に引っかかる。

 夫は、黒く焦げたところを発見すると、
「あらあら、黒焦げさん、こんにちは」
 などと言って、パンの焦げた部分に挨拶をしている。なんとも憎たらしい。

 そんな夫が先日、おやつ代わりに、食パンを自分で焼いて食べていた。

 しばらくして、私が夕飯の支度をしようと台所に向かうと、床などに細かくて黒い物が縦横無尽に散らばっている。なんだろうと目を凝らすと、
 それは、焦げたパンくずであった。
 どうやらこの日、夫は、パンをトーストして盛大に焦がしてしまったらしい。

 いつも取り調べられる側の私は、ここぞとばかりに、

「ウーゥ!ウーゥ!ウーゥーーー!」


 パトカーのサイレンの物真似をして夫に近づいた。
 珍妙なことをし始めた妻を見て、夫は目をぱちくりさせている。私は無線機で連絡を取る警察官のように、こう言ってやった。

「えー、台所に焦がしたパンを包丁で削った痕跡あり。犯人は後片付けもせずに逃走。今、犯人を確保しました。午後三時半、現行犯逮捕!」

 犯人は目をウルウルさせて私を見ている。
「ゆるして……」
 そうのたまう姿は、まるで小動物さながらである。だが、そんな顔をして無罪放免になるほど世間は甘くない。

 犯人には即刻、キッチンの掃除と食器洗いの刑を言い渡した。

 刑は即日執行され、その日の夜、私は夕飯後の素敵なひとときを、食器洗いに邪魔されることなく、優雅に過ごしたのであった。

 めでたしめでたし。











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