見出し画像

秋茄子を嫁が食う

 外で鈴虫とコオロギが大合唱を始めている。耳で季節を感じる秋ではあるが、最近はどうもスッキリ晴れている日が少ない。秋晴れはどこに行ってしまったのだろう。疫病で出掛けられない人間の代わりに、旅にでも行ってしまったのだろうか。残念なことに、この天候不順で野菜の値段も高騰しているようだ。しかしなぜかナスは安いらしい。アキダイさんがそう言っていた。有り難いことである。

 私はナスを見ると、どうしても揚げたくなってしまう。ナスの揚げ浸しは作りおきもできて、ナスの紫色の彩りもいい。酒のつまみにも最適で万能だ。とはいえ、ナスは油を吸う。「アレ?君、スポンジだったっけ?」と聞きたくなるぐらい油を吸う。もしかしたらスポンジよりもナスの方が油を吸い上げる能力は高いかもしれない。そのかつてない吸引力は野菜界のダイソンといっても過言ではない。

 揚げ終わったナスをタレやめんつゆに漬けるとき、私はいつもこう念じる。

「大丈夫。思ったほど吸ってない。きっとつけ汁に油が流れているはず。うん、問題ない。大丈夫」

 しつこいまでにナスと自分に言い聞かせる。この念はどちらかと言うと、ナスよりも自分の体の方に油を吸わせないために言い聞かせているようなものだ。そんなに言い聞かせるくらいなら、素直に蒸すか焼けば良いものを、揚げてしまうところが私の心の弱さである。そして大丈夫という強い気持ちで揚げたナスを食べるのだ。

 ナスを長年揚げてきて思うのだが、どうもナスは塩水につけておくと、油が浸透しにくい気がする。あくまで個人の感想なのだが、どうもそんな気がしてならない。あと、これは揚げ物全般において感じていることなのだが、米油はサラダ油に比べ、揚げ終わったときの油の減りが少ない。つまり米油だと食材に油が浸透しにくい気がするのだ。

 さっきから「気がする」ばかりで、なんの証拠もないところがどうしようもない。最近流行り言葉で言うところのエビデンスのかけらもないといったところだろうか。
 そういえばエビデンスという言葉を初めて耳にしたとき、また名古屋県民が新しいエビ料理でも開発したのかと思ったものだ。本来の「仮説の証明・証拠」という意味を知っても、モデルの蛯原友里さんプロデュースの新ブランド名にもなりそうだな、などと考えてしまうのだ。どうも私は横文字は苦手である。

 横文字と言えば、ナスは英語でエッグプラントというらしい。直訳すると卵の植物だ。日本人からすると、ナスは紫色なので、卵と言われてもピンとこないが、外国には真っ白なナスがあるらしく、今回使わせて頂いた見出し画像を見ると、本当に卵が実っているように見える。
 厚焼き玉子と聞くだけで鼻の穴が三倍に膨らむくらい卵好きの私からすれば、こんなに卵に似ているのに野菜だなんて、ちょっとガッカリしてしまう。
 卵のように白い外国のナスも、油で揚げて、めんつゆに漬けたりしたら美味しいのだろうか。ガッカリしたくせに、白い茄子への興味が湧いてきてしまった。

 日本人が秋ナスと言われ連想してしまうのは、やはり「秋茄子は嫁に食わすな」という言葉だろう。これは嫁いびり説と、嫁いたわり説の両方が存在するらしい。

 とはいっても、「嫁に食わすな」という言葉自体の響きが悪すぎる。なんと言うか、心の底にあるどす黒いものを感じてしまうのだ。本当に嫁いたわり説なんて存在していたのだろうか。あまりに毒が強すぎる言葉なので、あとになっていたわり説を付け加えただけなのではないだろうか。私もどす黒いところがなきにしもあらずな人間なので、そのへんを深く疑ってしまう。

 秋ナスをきっかけに話が嫁姑問題にまで及んでしまった。大変な問題に片足を突っ込んでしまった気がする。しかし、嫁姑問題を論じることができるほどの度量が私には全くない。なぜ触れてしまったのだろうか。後悔先に立たずだ。とりあえず大きな論争に発展する前に、このへんで退散しようと思う。




 ちなみに、最近は揚げナスではなく、こちらの方法でナスを調理しています。揚げたみたいで美味しいです。こちらの写真は乱切りですが、半分に割って、皮の方に斜めに切れ目を入れて蒸し焼きにすると、鍋底との接地面が広い分、より揚げナスに近くなる気がします。


お読み頂き、本当に有難うございました!