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パンツに穴

 夫のパンツに穴があいた。
 それに気づいたのは、夫が風呂上がりにスクワットをしているときであった。その小ぶりなヒップを、プリッと突き出したとき、小さくあいた穴から地肌が見えているのを発見したのだ。

「あら、あなた、パンツに穴あいてるわよ」
 私が言うと、夫はスクワットをしながら、
「あー、もう随分長く穿いているからねぇ」
 と、言った。

 実はいうと、私も先日、パンツに穴があいたばかりだ。
 下着を新調すると、気分が新たになって良いものだが、我々夫婦は、つい、くたびれたパンツに手が伸びてしまう。肌に直接触れるものは、やはり馴染みがあった方がいい。
 長い付き合いのパンツというのは、持ち主の尻の形状を把握し、それがじかに入ってくる、という覚悟がきちんとできている。しかしこれが新品のパンツだと、こうはいかない。
 私に初めて穿かれるパンツは、きっとこう思っているだろう。

 この大きなお尻を、受け止めることができるだろうか…。

 新品パンツは、私の豊満過ぎるダイナマイトボディにうろたえながら、その繊維を小刻みに震わせているに違いない。不安な思いをさせて申し訳ないと思っているが、そんな新品パンツと深い仲になるには、洗濯を繰り返し、相対する時間がそれなりに必要となる。たまに穿いた瞬間から、その出会いに感謝したくなるシンデレラフィットなパンツもあるが、そんなパンツであればあるほど、穴があいても穿き続けたくなるというものだ。

「穴あいちゃったし、もう捨てるしかないかなぁ…」
 私が言うと、夫はスクワットを続けながら、こう言った。

「パンツも金継きんつぎができればいいんだけどねぇ」

 金継ぎとは、割れてしまった陶器を漆で接着し、金粉などで装飾して仕上げる修復方法だ。最近では、この金継ぎが、ちょっとしたブームになっているようで、初心者でも簡単に金継ぎできるキットが売っている。

 確かに、金継ぎした器には不思議な魅力がある。捨てるしかなかったものが、新たなデザインになってよみがえるのだから、多くの人が魅了されるのも無理はない。しかし、そう思えば思うほど、私の胸には、

 なぜ器の修復はよくて、パンツはダメなんだ!

 そんな思いが込み上げてくる。
 厳密にいえば、決してダメではない。自分のパンツをどうしようが、個人の自由だ。しかし、友人とお茶をしながら、話しのついでに、

「私、この前、お気に入りのマグカップ割っちゃって、金継ぎして今も使ってるの」

 とは言えても、

「私、この前、お気に入りのパンツに穴があいちゃって、縫い合わせて今も穿いてるの」

 とは言えない。
 いや、言ってもいいのだ。言ってもいいのだが、
「パンツの穴を修復して穿いています」
 などと、正々堂々、人様に言える勇気が私にはない。うわっ!この人貧乏くさい!そう思われるのが関の山である。
 心優しい友人に、そんなことを言おうものなら、

 この人、新しいパンツを買うお金もないんだわ…。

 と、同情され、
「ここは私に払わせてちょうだい!」
 そう言って、伝票を手に猛然とレジに向かってしまうかもしれない。
 いつも、気兼ねなく割り勘で楽しんでいたティータイムが、この日を境に伝票を奪い合うようになってしまうのだ。そんなことをしているうちに、友人関係にヒビが入り、パンツよりもこっちを金継ぎしたい、なんて事態になりかねない。

 夫がスクワットをするたびに、見え隠れするパンツの穴を眺めながら私は、着物の刺繍に使うような金糸を買って繕えつくろば、金継ぎだと言い張れるのではないか。そんなことを考えた。

 長く続いた消費の時代から、手直しして使うことが、見直される時代になってきた。今はまだ時代が追いついていないだけで、ひょっとしたらパンツのような下着にも、盛大な金継ぎブームが訪れるかもしれない。

 そんなことを妄想しはじめると、私は尚更、穴のあいたパンツを捨てられなくなってしまうのである。





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