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とおくへいきたい #創作大賞感想

「とおくへいきたい」
 という言葉を聞くと、私は反射的に浅田飴の宣伝をしていた永六輔のことを思い出してしまう。

 その昔、永六輔氏は日本テレビで「遠くへ行きたい」という番組に出演していた。永六輔本人は1年余りで番組を退いてしまったものの、番組自体は現在も形を変えて続いている。


 日曜の朝に早起きしてテレビを見る方なら、この番組の主題歌の触りくらいは聴いたことがある方もいらっしゃるかもしれない。

 番組の主題歌のタイトルは、そのものズバリ、「遠くへ行きたい」。作詞・永六輔、作曲・中村八大による作品だ。

 その旋律はどこか物悲しい。日々の暮らしから離れ、ひとりでひっそりと旅をするような背景が、瞼の中に浮かんでくるような名曲である。

知らない街を歩いてみたい
どこか遠くへ行きたい
知らない海を ながめてみたい
どこか遠くへ 行きたい
遠い街 遠い海
夢はるか 一人旅
愛する人とめぐり逢いたい
どこか遠くへ行きたい

遠くへ行きたい・一部抜粋

 この歌の影響だろう。
「遠くへ行きたい」などと言われると、どこかため息交じりで、物憂げな雰囲気を感じてしまう。

 現実からしばし逃れるために旅に出るはずなのに、なぜか後ろ髪惹かれる思いで、汽車に乗る。すべてがひっそりとして静かで、海面に映った夕日が、穏やかにまばゆく光る様子が浮かんでくる。

 そんな切ないイメージだったはずの
「遠くへ行きたい」
 という言葉が、先頃読んだとあるエッセイでは、
《決意と願望に満ちた力強い言葉》
 に変貌を遂げていた。
 

 窓から景色を眺めている少年は、エッセイの作者である父親の《野やぎさん》に、こんなことを言い放つ。

「とにかく、とおくにいきたい!」


 そこに、知らない街を歩いてみたいとか、愛する人と巡り合いたいとか、そんな思いは一切ない。

 少年は、とにかく、とおくにいきたがっているのである。
 その言葉は、疲れたすべての大人たちに翼を授けるようなパワーに満ちていた。
 みなぎっている。
 このパワーを成分化してドリンクに混ぜたら、最強のエナジードリンクが出来上がるに違いない。

 しかし少年は、なんでもいいから遠くに行きたいわけではない。野やぎさんは本文の中で、息子さんのことをこのように語っている、

 いろんな電車を愛し、乗車を愛し、乗り換えを愛してやまない生粋の子鉄なのである。

本文より抜粋

 その愛は父である野やぎさんを震わせる。《電車で》遠くへ行きたがる息子に、
「そっかそっかぁ……」
 と返事をしつつ、野やぎさんは、なるべく乗り換えできるように特急を使わず、日帰りで行ける一番の「遠く」をスマホで調べていく。

 行き先は決まったものの、エッセイのタイトルにもあるように、その旅の往復時間は約12時間。

 私が子供の頃などは、電車やバスに乗れば、一駅着くごとに
「ここで降りるの?」
「あと、なんこで降りるの?」
 などと母に訊き、随分と煙たがられたものだ。

 それを12時間である。
 正直、ただ寝ているだけでも12時間はキツイ。だらだらしていれば12時間なんてあっという間だが、目的をもって行動する12時間というものは長く感じる。特にそれが移動時間ともなれば、出かけるのに、ちょっとした悲壮感を伴った決意が必要になってくる。

 いくら電車への愛が深いとはいえ、野やぎさんの息子さんは、12時間の移動に耐えられるのだろうか。

「病めるときも健やかなるときも、常にこの者を愛し、守り、慈しみ、支え合うことを誓いますか」

 そう神父に問われたにもかかわらず、古今東西、散っていった夫婦は五万といる。わが両親も散った側だったゆえに、私も長きにわたって、愛の儚さは見てきたつもりだ。

 野やぎさんの息子さんは、鉄道への愛を貫くことができるだろうか。
 そして、父である野やぎさんは、わが子の愛をアシストすることができるのだろうか。

 みなぎり、あふれ出る愛のパワーに翻弄される父、野やぎさんの姿を勝手に想像する。大変そうだと思ってしまう。心配になる。
 息子さんの体力が持つのかも心配だが、父親である野やぎさんが疲労によって溶けてしまわないだろうか。

 しかし、読み手である私の心配をよそに、みなぎるわが子のため、野やぎさんは青春18きっぷを手に旅を決行する。
 もはや引けない。

 息子さんの愛は、旅の当日の早朝から芸術のように爆発している。その様子を伝える言葉はしみじみしすぎず、軽快だ。そして写真も満載。
 12時間も電車に乗っていられない私のような怠惰な人間でも、まるで翼を授けられたように、親子の旅に乗り合わせた気分を味わえた。なんと、ありがたいことか。

 SNSの投稿を読むようなテンポのよさで語られる旅。
 その様子は、ぜひとも本編を読んで味わってほしい。

 大人になると、何かを愛するのに、いろいろ理由をつけがちだが、目の前にあるものを愛するのに、あれこれ理由はいらない。
「電車に乗って、とにかく遠くに行きたい」
 ただ、それだけでいいのだ。

 少年の一途な思いを乗せて、電車は走る。
 そして、隣で息子を見つめる一人の父親の眼差しはどこまでも温かい。その様子に目を細める一方で、電車のシートに座り続けた野やぎさんのお尻が無事だったか、その後の生活に影響を及ぼしていないか、読者の一人として心配なところである。


 
 
 

野やぎさん、お尻大丈夫でしたか?

 みなぎっていないほうの「遠くへ行きたい」です。名曲です。
「笑点のテーマ」「上を向いて歩こう」「明日があるさ」「黄昏ビギン」も中村八大の作曲。笑点以外の、曲の歌詞は永六輔によるものです。昭和の名コンビでした。

 

 

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