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爆弾ハンバーグ(フライングガーデン)の店員さんに謝りたい

 外食をするとき、堂々としていればいいものを、なんとなく、おどおどしてしまう。一番、おどおどするのは注文のときだが、食べ終わってからも、どういうわけか落ち着かない。

 食べ終わった空の皿が並んでいる。
 これを片付けやすいようにテーブルの端にやり、空いたところを使い捨ておしぼりで拭いたりする。役目を終えたおしぼりや紙ナプキンをきっちり結び、まとめて一か所に置いておく。片付ける人の不快にならないように、つい、あれこれ考えてしまうのだ。

 以前、飲食店のホールでアルバイトをしていた人が、
「食べ終わったお皿を重ねたり、食器に使用した紙ナプキンを入れられると困るんだよね」
 と話していた。
 それを聞き、良かれと思ってやっていることが迷惑になることもあるのだと反省した。それ以来、皿は重ねずに、端に寄せるだけにしている。

 外食に、家庭の習慣を持ち込んでしまうと、こういったありがた迷惑が起こるのかもしれない。飲食店の裏側を知ることなんてできないし、お店によっても片付け方はそれぞれだ。我が家の片付け方が、他でも通用するわけではない。

 外食でつい、片付けてしまう人の心理には《気が利く人》だと思われたいという欲求があるように思う。気配りができる、人を慮れる人間であることを世間に示したい気持ちになり、つい、余計な手を出してしまうのだ。
 通りすがりの人にも良く思われたい。私にも、そういうところがある。

 先日、レストランでハンバーグを食べた。食事終わりに、ホールスタッフの女性が
「お水のおかわりをどうぞ」
 と、新しいグラスに氷の入った、きれいな水を持ってきてくれた。手元のコップには、まだ氷も水も残っている。新しくもらうのはもったいないし、申し訳ない。私は咄嗟にそう思い、
「大丈夫ですよ」
 つい、そう口走ってしまった。
「あっ! そうですか?!」
 店員さんは明るい口調だったが、少しばかり狼狽えたようだった。その様子に、私はしまったと思った。せっかく持ってきてくれたのだから、突き返すほうが失礼だ。
「あ、やっぱり頂きます!」
 私が言うと、店員さんはホッとした様子でコップに入った氷水をテーブルに置いてくれた。

 新しい氷水を口に含むと、ハンバーグを食べた後の口を、意外なほどスッキリさせてくれた。はじめは《もったないから》と思って、断ったのだが、新しくきれいな水を飲んだときに気がついた。

 これまで食事中に飲んでいた水は、唇についたお肉の油が表面に浮いていたりして、濁りがある。スタッフの方が、まだグラスに水が残っているのに、新しい水を持ってきてくれたのは、
 きれいな水で口直しをしてほしい。
 
という心遣いだったのだ。

 私はこのとき、最初に水をいらないと言ってしまったことを激しく後悔した。《もったない》を優先させてしまったせいで、接客をしてくれた方の深い《心遣い》に気づけなかった。もう一度、店員さんを呼んでそのことを謝り、改めてお礼を言いたくなったが、謝るために呼びつけるなんておかしな話だ。それこそありがた迷惑に違いない。

 この日私は、ドリンクバーもつけなかったし、サラダも頼まなかった。ハンバーグとご飯を頼んだだけの、単価の少ない客だった。そんな私のような客のことにもきちんと目を配り、店員さんは食後にきれいな水を持ってきてくれたのだ。

 ハンバーグは美味しかった。
 自宅からは遠いお店だったので、リピートはないかなぁ、などと思っていたが、店員さんの心遣いに触れ、また食べに行きたいという気持ちになった。

 味だけが食欲を掻き立てるのではない。
 人の心遣いもまた、深い味わいとなって、美味しい記憶に残る。
 帰宅してから、お店のホームページを見てみた。ハンバーグだけでなく、他にも美味しそうなメニューがあり、華やかなデザートもたくさんあった。 
 次、行くときは《若鶏のうまいうまい焼き》を食べてみようかな。
 などと思っている。



 


  

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