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スマホは軽いか重たいか

 スマホに変えて早三ヶ月が経過した。
 遅すぎたスマホデビューであったが、今ではフリック入力もそれなりにできるようになってきた。スマホにするのを嫌がっていた半年前の自分に教えてあげたいものである。

 しかし、今、困ったことが起きている。
 スマホにしてから、夫が連絡をあまりよこさなくなったのだ。と、いうよりスマホを家に置いて出掛けてしまう。
 出掛けた夫に、ああそうだ、とメールをしても、うちの中で「ブインブイン」とバイブ音がするのである。夫に送ったメールの着信を、いの一番に自分が気付くのは、案外むなしいものだ。

「スマホ忘れてるよ。持って行ってくれないと連絡取れないじゃないのよ」

 私が言うと、夫は、

「何か忘れちゃうんだよね。重くてポケットに入れられないし、携帯性に乏しい機械だよね、これ」

 それは私もそう思う。
 ずっとガラケーを使ってきたので、ポケットに入れるには重過ぎるのだ。スキニーのようなピタッとしたズボンのポケットなら大丈夫なのだろうが、緩めのズボンのポケットにスマホを入れると、だらしなくポケットが伸びてしまう。

 今まで当然のようにガラケーをポケットに突っ込んできた身としては、カバンに入れてしまうと、連絡ツールとしての性能が格段に落ちる気がしてしまうのだ。常に隣室に控えていた執事が、三軒先に引っ越してしまった感じである。用事があるのに、いちいち三軒先まで歩いて呼びに行くのは面倒なことこの上ない。

「皆どうやってスマホ持ち歩いているんだろうね」
「物凄く丈夫なポケットのある服でも着てるのかな」
「薄くて軽くて丈夫といえばチタンだろうね」
「チタン製のポケットか。チタンって結構高いよ。」
「十万以上するアイフォン持ってる人多いからね。スマホの持ち運びにも皆お金かけてんのよ」

 皆さんのポケットはチタン製なのですか?
ユニクロや無印でそんな服見たことない。まさかのしまむらなのだろうか。

「最近のっぺりした四角い時計してる人いるじゃない? あれで何かできるんじゃない?」
「え、あれがあればスマホ持たなくていいの?」
「えっ!そうなのかな? じゃあ、最初から時計だけ買えばよかったんじゃ…?」
「えー、スマホ買っちゃったよぉ」

 ちなみに我々夫婦はこれでも令和三年を生きている。
 いじめられていた亀を助けた記憶はないのだが、23年にも及んだガラケー生活は、私と夫をすっかり浦島太郎にしてしまった。

 今、少しスマートウォッチがどんなものか検索している。全くピンと来ない。スマホをカバンに入れたままで、どのあたりまでスマートウォッチは反応するのだろう。それこそ三軒先まで行けるのだろうか。

 このままでは何のためにスマホを持っているのかわからない。ガラケーからスマホにするときもそれなりに騒動になったが、今はスマホをガラケーレベルで持ち運べる名案はないものか思い悩んでいる。

 ちなみに現在、夫婦ともども携帯ケースが手帳型なのだが、これも携帯性の乏しさの原因だと感じている。ただ、スマホの画面が割れてる人を見ると、例え保護シールを貼ったとしても、むき出しで持ち歩くのは不安である。我々夫婦は「お使いのスマホが来年には使えなくなります」という通知が来るまで現在のスマホを使い倒したいと思っている。長く使うには画面が割れてしまっては困るのだ。

 我が家ではスマホを長持ちさせるために、バッテリーの寿命が一日でも長くなるよう、充電の管理は厳密に行っている。夫が電池マニアなので、その辺のことは抜かりない。フル充電をせずに80%まで充電し、20%を切る直前で充電することを心掛けている。
 一度気を抜いてフル充電してしまったことがあり、

「だぁああああああー!!!」

 と叫びながら、私は光速で充電器のコンセントを抜いた。そして夫に、
「そんなことではダメだね。電池をやる人間として失格だよ」
 とダメだしされた経験がある。

 電池をやるって何?

 一瞬思ったものの、そこは口答えはしない。
「そうね。電池をやる人間にとって、フル充電は愚行そのものだもんね」
 と言ってみたが、その辺は電池によるらしい。電池、めんどくさい。

 とはいうものの、スマホは便利だ。
 中でも青空文庫アプリには感激した。パソコンで読むより圧倒的に読みやすくて有り難かった。紙の本で読む良さには敵わないが、それでも太宰治全集がスマホ一つに納まるのは素晴らしい。芥川だって山本周五郎だって江戸川乱歩だって読めるのだ。それらをすべて持ち歩くより、うんと軽い。驚きの軽さである。

 だとすると、やはりスマホは軽いものなのかもしれない。




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