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たましいの、抜けたひとのように、足音も無く玄関から出て行きます。 これは、太宰治の小説「おさん」の冒頭の一文である。 私はこの書き出しが好きで、これを読んだだけで、ブルブルっと痺れてしまうのだ。そして満面の笑みでウインクをし、親指を立て、 「太宰先生!今日も絶好調ですね!」 とアメリカンな感じで声をかけたくなってしまう。太宰にとっては、大変迷惑な読者だ。 しかし、魂が抜けるとまではいかなくても、何だか疲れ果ててしまい、それこそ魂が抜けたようにうなだれてしまうこと
今、ふと電波時計を見たら、 午後5時55分55秒 だった。 「おーほっほ、見てみて、今、午後5時55分55秒だったよ!」 私は思わず、25年近い付き合いのぬいぐるみ、スヌーピーに話しかけてしまった。一人、部屋で盛り上がる四十路女。不気味である。 しかし、こういうことで喜べるようになれたこと自体が、私の中で成長とも言えるのかもしれない。 以前は、「おっ!」と思っても、こんなことで喜ぶなんて、お気楽な人間だな、と自分を恥じた気がする。せっかく「おっ!」と喜んだの
散歩が趣味、という人がいる。 いいなぁ、と思うと同時に、私も散歩したい!と思う。散歩をすれば健康にもいいし、精神面においても良い。きっと散歩をすれば気持ちのもやもやも、自分が気づかないところで解消されていくような気がする。 しかしである。 私は散歩ができないのだ。ただ歩けばいいだけじゃないか。そう思われるかもしれないが、私の場合、ただ歩くということが非常にもったいない気がしてしまうのだ。 元々、恐ろしいまでの出不精である。散歩に行くために、部屋着から外着に着替える