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花丸恵の掌編小説集

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自作の掌編小説(ショートショート)を集めました。
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2023年5月の記事一覧

フォークソング野郎 #短編小説

 「初夏を聴くと、思い出すんだよなぁ」 「あ?」  人を呼び出しておきながら、航平がまたおかしなことを言い出した。 「何だよ、初夏って」  俺が訊くと、航平は公園のベンチに背中を預けながら、大げさに溜息をついた。 「ふきのとうだろうがよぉ」  意味がわからない。  初夏とは5月初旬から6月初旬までの、ちょうど今くらいの時期のことだ。ふきのとうは春の山菜。季節がバラバラじゃないか。 「ふきのとう? 何だよ。天ぷらかよ」  そろそろ17になろうというのに、俺は未だにふきのとうが

かぐや姫ごっこ #短編小説

 「月の耳……とか言ってたかな? 確かそんな名前だった」  夜になって突然部屋にやってきた彼が、「これ、何?」と訊いてきたので、私は、曖昧な記憶を頼りにそう答えた。  テーブルの上に置かれた、小さな鉢植え。  ウサギの耳に似た肉厚の葉は、ふわふわと起毛している。 「これって多肉植物ってやつだよな」  彼が独り言を言いながら、スマホで文字を打っている。  きっと《多肉植物 月の耳》そんな検索ワードを入力しているのだろう。彼は気になることがあると、すぐスマホで調べるくせがある

フルーツさんのお洗濯 #短編小説

 舞うイチゴを見た。  風に飛ばされ、舞い上がっていたそれに手を伸ばし、パッと掴むと、 「すみませーん!」  上空から声が聞こえてきた。 「こっちです! こっち!」  声のする方に、顔を向けると、青い空を背にした二階建ての木造アパートが見えた。その二階のベランダに、乗り出すように大きく手を振る、女の人がいる。 「今、取りに行きます! 待ってて下さい!」  そう言うと、女の人は素早く部屋に戻り、窓を閉めた。私は手に持っているものを広げてみる。それは、黒地に大ぶりのイチゴが全面

咳をしても金魚 #短編小説

 咳をしても金魚。  金魚鉢に浮かぶ黒い金魚は、腹を水面に向け、口をパクパクさせている。その様子はまるで、咳をしているようだった。口が動く度に、空気と水が吐き出されたり、飲み込まれたりしている。早打ちする心臓のように、べろりべろりとエラが動く。  金魚すくいをして捕まえた金魚が元気だったのは一日ほどで、ここ二日ばかり、金魚はずっと、ひっくり返ったまま、水面に浮かんでいる。ぼくの心みたいに、ぷかぷかと。  夏祭りになんて、行かなければよかった。  ひと月ほど前に付き合い始