見出し画像

コロナウイルス奮闘記 #21

東京物語

ここでは初めての邦画。
僕が今まで見た中で、間違いなく最高の映画だった。
ダントツで最高の作品だった。

リアルすぎる。
日本人なら誰もがしているだろう行動が、そのまま映画になっていた。

映画の序盤は、あたりさわりない日常が流れていくだけで、大した出来事がないために、つまらないと切り捨てられることが多そうだと思った。
序盤は確かに、僕たちにとって普通すぎる。
でもこの映画は、全編にわたって普通過ぎる。
でも物語が進むにつれて、そんな普通の生活を見ているだけでも感情が揺さぶられてくる。
事件やら騒動やらはなにも起こらない。
序盤から中盤にかけて映画が提示しているものは変わってこなくても、受け取る側は変わっていく。
日常を愛するというのはこういうことだと思う。

またこの映画の魅力の一つ、主人公演じる原節子さんのなんたる美しさ!
役柄も良い人で、心に染み入ってくるものがある。
人間は、あぁ、愛おしい。


「二つ良いことはないものですな」というセリフが胸に残った。
そこまでの会話も重要だったような気もするけど。

「二つ良いことはないものですな」というのは、本当にその通りだと思う。
戦争があれば、家族を愛おしく思う。
戦争がなくなれば、今度は家族の欠点ばかり見つかってくる。
親がいれば、鬱陶しい。
親がいなくなれば、不幸のどん底に突き落とされる。

僕たちは何を求めているのだろうと不安になる。
僕らは、何があれば幸せになれるのだろうと思う。

今あるものを愛すること、感謝できること、喜べること。
これ以外に幸せの方法はないように思う。


僕たちは、大人になるにつれて、両親を邪険にするようになってしまう。
まだ子供ともいえる大学生の身分の僕でさえ、親が鬱陶しいと感じることがある。
東京に用事があるから、一日下宿に泊まらせてくれというだけでも少し心がざわつく。誰もがそうだと思う。

大人になり、自分の生活が出来上がっていく上で、この思いはより強くなっていくと思う。
親を邪険にする気持ちは一生逃れられないものだと思う。
その一生つきまとってくる感情が、一生親を苦しめているとも知らずに。
でも、そういうものだから、仕方がない。

それでも、僕たちにとっての幸せを考えたとき、一つ親孝行をすることは、重要なものだと言える。
身の回りの誰かが不幸に陥っていて、自分が幸せになることは難しい。
親にとっての幸せを僕たちは理解しているんだから、自分が幸せになる方法も十分に理解しているといえる。


演技について。

僕は演技について、感情や人柄に関して、俳優が提示するものじゃないと考えた。
感情や人柄は、観客が想像するものだと思う。

想像の力はすさまじい。
詩は、言葉を使って情景を想像させる。
その情景の美しさにホロリとすることがある。
景色に関しては、実際に見ることができるが、感情や人柄は別だ。

僕らは他人のことをわかり得ないから、感情や人柄は結局、想像するしかない。
映画や演劇は、観客に、思う存分想像させてやるのが仕事だと思う。
その想像をもって僕たちは初めて作品が完成するのだと思う。

感情は伝えるのではなくて想像させるものだというのが、僕の持論だ。

個々人の想像の力を存分に発揮させるものが、いい文章だったり表現だと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?