見出し画像

『迷宮』と異名のある駅で

梅田に来た。

新宿でさえ彷徨う関東出身のわたしに、
梅田というラビリンスは
難関に他ならない。

と、思っていた。

のだが!

どこに行こう、
なにをしよう、と決めずに、
楽しい散歩として歩くと、
あまり迷うことがないことが
わかったのである。

迷宮とは、
目的地があってこそ、
そこに出現するのだ。

目的地に辿り着かない状況、
それが迷う、ということなのだ。
(当たり前)

いままで、
わたしは自分をただの方向音痴だと思っていた。

もしかしたら、
違うのでは?

規定の時間内に
設定された目的地まで
辿り着かなければならない。

この制約された状況の中でこそ、
迷宮は迷宮としての猛威を
存分に振るうのではないだろうか。

つまり、
時間無制限、
無目的、
ただ歩数を稼ぐ為だけ(万歩計アプリにハマっている)に
楽しく歩き回るという状況下では、
焦ることが一切ないので、
迷うということが全く無くなる。

知らない場所に出る、
それは新しい知識を得るのと同じことであるので、
ここではない別のどこかへ行きたいのであれば、
来た道を戻ればいいし、
そのまま歩を進めて違うところへ行けばいいのだ。

つまり、
散歩を繰り返すことで、
ダンジョンは確実に攻略できるということではないだろうか。

…嗚呼、人々のさまざまな、
『無目的に駅を歩くって、MUDA!』
みたいな囁きが暴風雨に紛れて聞こえてきそう。

でも考えてもみて欲しい。

これって、
時間無制限で
無目的に
ただただずっと好きなことをしていたら、
いろんな方法を学ぶことが出来て、
迷っていることが無くなったみたいなことなのではないか?

散歩が楽しければ、
ダンジョンが攻略できるのと同じように、
わくわくする方へ歩いていったら
わくわくすることに対して
だんだん詳しくなっていって
いつのまにかこうなっていた、みたいな。

なんて、
取り留めもないことを
梅田のダンジョンで考えながら帰路に着いた。

ほらね、ホテルに帰れたよ。

こんな事書いて、
明日にはまた迷ってる可能性だって
全然あるけどね。

しかし、
梅田はぶらぶらしようって気になるけど、
新宿はぶらぶらしようって気にならないので、
東のダンジョン攻略への道は
まだまだ遠いな。



しろくまʕ ・ω・ )はなまめとわし(*´ω`*)ヨシコンヌがお伝えしたい「かわいい」「おいしい」「たのしい」「愛しい」「すごい」ものについて、書いています。読んでくださってありがとうございます!