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学芸美術 画家の心 第35回「村上華岳 水盤菊花図 1927年作」


村上華岳は自著『画論』の中で次のように述べている。

山を一つ描くとするに『心構え』が出来てゐないと、どんな山だって筆端に生まれてこない。・・・この心を整える遑(いとま)を作ることが大切である。

華岳先生は、絵を描くには『心構え』が必要だとおっしゃる。そのためには『遑』、すなわち暇(ひま)な時間を作ることが必要で、ただ寝っ転がるだけでもいいそうです。

こちとらボーっとすることも、さらには昼寝することもできる。暇ならいくらでもあるのだが、だからといって「絵を描く心構え」なんてまったく起きてこないし、それが何なのかさえさっぱりわからない。華岳先生は、こんなわたしにいったいどうしろとおっしゃるのだろうか。もっと具体的に教えてほしいものだ。

と、愚痴ったところで、この菊の絵は、華岳の絵の中でもかなり特殊な部類に入るそうだ。画集を広げてみると確かに華岳の多くの絵は線が太く、力強い絵が多い。そうなのだが、わたしは華岳の仏画と共にこの菊の絵を好ましく思っている。

何故わたしはこの絵がいいと思うのだろうか。模写を進めていくと、霧の中から菊花が浮かび出てきたような幽玄さとでもいうのだろうか、薄く淡い色づかい、そこに心が惹かれたのだ。

この模写はハードパステルを使った。パステルだと細部は描けません。パステルは基本的には粉なので、色の線もぼんやりしてしまう。

幽玄さとぼんやりがうまくコラボできてたと思うのですが、いかがでしょうか。

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