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ファロスの見える家 足止め 1

 【これまでの経緯】
 天才左内君から小包が届き、中からは稚拙な曜変天目茶碗が出てきた。そして、手紙にはアメリカに行くと書かれていた。


 渚沙はカウンターの後ろの棚にそっと置かれた、南海子の遺影に目をやった。いつもにっこりと優しい笑顔で笑っている。写真から目を離すと、壮介を見た。そして、この家にやって来たときのことを思い出し、ぽつりと呟いた。
「あたしは人生に迷い、道に迷い、この店にたどり着いた」
「『片想い』を食べて、そのままソファーで寝ちゃって……」
 壮介もあの日のことはよく覚えている。開店して初めてのお客が渚沙さんだったということもあり、忘れられない一日で、「ファロスの見える店」の原点でもある。


「それからしばらくして、美咲ちゃんが愛之助を抱いてやって来て、そのまま一緒に住むようになって」
「そうでしたね」
「その時、美咲ちゃんも看護師さんを辞めようかと将来に迷っていた」
 ええ、と壮介は相槌を打ったが、渚沙が急に改まったもの言いをするのでふと疑問に思った。
「それからも、加奈さんや安雄さん、ひろ子さんがやって来て、そのあとは、陶子さんに左内君でした」


「ファロスの見える店」の数少ないお客さんたちだが、確かにみな何かに悩みフラフラとやって来た。渚沙は何が言いたいのだろうか…。
「このひとたち以外にもいろんなお客が来たけど、みんな生きる術に迷い、何かに引き付けられるようにしてここにたどり着いた。そうじゃないかしら」
「引き付けられるって。何にですか」
「この家には不思議な魔力が備わっているのよ」


「変なこと言わないでください。ぼくは自慢じゃないですけど、オカルトは嫌いなんです。確かに駅からは遠いし、丘の見晴らし台へ続く道からも離れている。だから道に迷ってここにたどり着くことはあるかもしれません。そうだからと言って、人生の道に迷ったひとしか来ない、というのはどうなんでしょうか」
「ただの道に迷った、それもあるかもしれないけど、それ以外にもっと大きな理由があるのよ。それがなんなのか、モヤモヤしているのだけど、この店には何かがあるのよ。そんな気がする」


 渚沙は平気な顔をして怖い話をした。何かがありそう、そんなこと言われても壮介は困ってしまう。ただ南海子が死んで、やるせない気持ちで、そのときの勢いでこの家を買っただけだ。この家にいわくや怨念があるなんて考えもしなかった。しかし、渚沙に言われてみれば、これまでのこの家の持ち主は、ここでコンドミニアムやペンションをしようと考えていた。しかし、その思いを果たすことなく手放している。そしてこの家を手放すときは、切り売りせずにこのままの形で売ってほしいと伝言を残している。まさかと思うが、それと何か関係があるのだろうか。


その後は南海子が喜んでくれるスイーツを作るため、ひたすら腕を磨く日々だった。なんとかぼく自身納得できるイチゴのケーキができたので、この店を開いたというだけのことだ。この家に何かあるなんて、渚沙さんの思い過ごしだろうと思うのだが……。
しかし、待てよ。自分だって、南海子を失いこれからどうすればいいのかわからなかった。道に迷っていたぼく自身もこの家に引き寄せられたとしたら……。
そして、(この家を買えば)って、南海子の声がして、そして(スイーツの店をやれば)って言われたように思う。それもこの家と関係がある……?


 そんなことを思い、ぼんやりしていると、渚沙は追い打ちをかけた。
「壮介さんだって……、南海子さんを亡くして、これからどうしようって迷っているときにこの家にやって来たのよね。いや……、そうじゃないわ。この家に引き寄せられて来たのよ。そうは思わない」
 渚沙は自信ありげにうなずいた。そして、
「壮さんは、そうした人生の道に迷って、行く当ての分からなくなったひとたちに、壮さんのスイーツで心を癒し、話を聞きながら新しい道に導く案内人なのよ」


「ぼくがそうだって言うのですか。そんなバカな、とてもじゃないけど、ぼくにはそんな力なんてありませんよ。単なるスイーツ屋の、それも修行中の職人ですよ。誰もそんな話、信じませんよ」
 壮介は半ば呆れながら渚沙の話を聞いていた。
「いいえ、きっと、そうよ。間違いないわ」
渚沙は自信ありげに、ひとり納得している。そして、渚沙はさらに信じられないことを口にした。


「ファロスよ。壮さんはファロスなのよ」
「ぼ、ぼくがファロス? ぼくが灯台ってこと?」
「壮さんはあの庭から見えるファロスなのよ。嵐で吹き荒れた真っ暗闇の悪魔の海に弄(もてあそ)ばれていた小舟が、波間に見え隠れする仄(ほの)かなファロスの明かりを見つけ、わずかに生きる望みを抱き、破れた帆を操りながらなんとか行先を見いだしていく。やっぱりそうなのよ。だから壮介さんは、灯台、ファロスなのよ」


 渚沙はそう口にすると改めて納得した。そして、背筋を伸ばし立ち上がると、グイと顔を突き出し、カウンターの中で渚沙の話を唖然として聞いていた壮介に、いきなりキスをした。あまりにも突然の、不意打ち過ぎる口づけに壮介は何もできず、何も言えず、ただなすがままになっていた。
 渚沙は何事もなかったように静かにスツールに座り直した。
「渚沙さん……」
「誤解しないで。これはこれまで壮さんとかかわったひとたちからのお礼よ」
「はぁー……」
 壮介には理解できない渚沙の行動だった。
                           つづく
【足止め 2】 予告
 美咲がハーハー息を切らして帰ってきた。愛之助が鳴いたと言った。しかし、美咲の顔色は優れない…。

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