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画家の心 美の追求 第72回「ウジェーヌ・ドラクロワ  民衆を導く自由の女神 1830年」

 オリンピックパリ大会での日本選手の活躍は心踊るものだが、自国民の大声援を受けたフランス選手の頑張りは驚異的と言ってもいいほどだ。
 そういう意味での前回の東京大会での日本選手は自国民の応援のない無観客の中で、多大なる重圧だけを背負い戦うことになったこと、はなはだ気の毒であったと今頃になりすまなく感じている。


模写「民衆を導く自由の女神」

 さて、この絵は縦2.6メートル、横3.3メートルもある巨大な油彩画で、フランス国旗トリコロールをたなびかせ、左手には銃剣付きのマスケット銃を掴んだ乳房をあらわにした女神マリアンヌが民衆の先頭に立ち、王宮に攻め入ろうとしている。

 1830年7月に起きた市民革命を描いたものだが、当時は写真もテレビもネット情報もない時代だ。一般市民は何が起きていたのか、知りたかったに違いない。
 ドラクロワはそういった要求をそれも超大画面で市民の眼前に提示したのだ。現場から生々しい画像が送られてきたのだ。これを見た民衆はみな驚愕した。
 そして、民衆はこの絵を見ながら拳を突き上げ、オリンピックでのフランス人以上に熱狂したに違いない。そんな狂喜と嬌声が耳朶(じだ)に響く。

 この絵には、話題の絵を見ようと集まりごった返す市民の熱気と狂喜を煽る要素が、いくつも散りばめられている。

 画面中央に乳房を露にした女神マリアンヌの市民を導く堂々とした姿だ。ところでパリオリンピックのマスコットはフリージュだが、これはマリアンヌが被る赤いフリジア帽からとられたものだ。
 そして彼女の足元には王政側の将兵の死体が累々(るいるい)と横たわり、首のない兵士や身ぐるみに剥がされ無残な姿の兵士、大将級の兵士の死体もある。民主派の圧倒的な勝利を想起させる。

 この絵を模写して分かったことは、絵中央に女神の黄色のキトン(腰巻)、隣に青服の兵士、上方に国旗の赤があり、青黄赤の三色が周りの暗さに対して鮮やかに描かれている。
 そしてこの絵の右端にいる男の腹には銃が差し込まれている。そして右には若い青年がいるが、鞄を下げているので学生だろうか、両手に銃を掴んみ義勇軍に加わったている。この若者は三丁目の拳銃を腹に突っ込んでいる。いったいこれらの銃はどこで手に入れたのだろうか。
 これらの銃は殺された、もしくは殺した王政側の兵士から奪ったものだろう。追剥(おいはぎ)同然の略奪が起きていたのだ。これらの行為は普段なら許されるはずもないが、戦争になればこれらの行為は名誉であり武勇譚となり、酒場ではさらに気勢を上げたことだろう。

 女神の右隣にいる山高帽の男。戦場には全くふさわしくない姿をしている。格好いい自分をアピールするこの人は、ドラクロワ自身と言われている。
 ドラクロワは、絵は当然うまいのだが、自意識もかなり高い人物のようだ。それとも画家としての自分を宣伝するためだったのかもしれない。

 このことを意図したのかどうかはわからないが、革命成功後、民主派政府はこの絵を3000フランで買い上げる。現在の価値にすると844万円(金換算より求めた)にもなる。当時としてはとてつもない高額であっただろう。

 ドラクロワはこの1枚で熱狂的な人気画家にのし上がり、これ以降もリュクサンブール宮殿やパリ市庁舎など、政府関係の大建築を飾る絵の注文を受け、1863年65歳で死去するまで活発に絵画活動を行い、成功者のひとりとなった。

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