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雨合羽

少年は雨を待っていた。

家は裕福ではなかった。
小学2年の梅雨の前に、祖母は何を思ったか、少年に雨合羽を買った。
それは銀色のつやつやとした素材でできていた。
それはたちまち少年の心をとらえた。
まるで最強の宇宙服のように。

やがて、雨が降った。
ざーざーと。

待ちに待ったその時が来たのだ。
雨合羽に左腕を通し、続いて右腕を通す。
パチパチとスナップボタンを下から順番に顎の一番上まで留めた。
それからアマヒコを被った。
アマヒコの先は透明なビニールだった。
青いゴム長靴を履いた。
まるで最強の戦士になったようにガラガラと引き戸を開けて外に出た。
その瞬間、強い雨が合羽を打ち始めた。
かまわずずんずんと歩き出す。

通りを右に曲がり踏切を渡る。
渡り切って左に向かい、鉱石の倉庫沿いに進む。
鉱石小屋には入るなと言われていた。
なんでも、砕かれた鉱石に触ると手足が腐るらしい。
右側は岸壁が続いている。
岸壁の向こうには、捨石とよばれる石垣の防波堤がある。
やがて木の橋が見えてきた。

その頃になって、最強でないことに気付いた。
最強と思われたその合羽は、長靴を覆うには10センチほど丈が足りなかったのだ。
雨が長靴に入って、ガボガボと音を立て始めた。
少しの後悔。
引き返すわけにはいかない。

木橋は所々、穴が空いていて青黒い海面が見える。
恐るおそる穴を避け、橋を渡り切り、石垣の護岸の中ノ島に入り左に折れる。

中ノ島の反対側には雨の中、ひっそりと漁船が佇んでいる。
漁協にも人影はない。
造船所を通り過ぎ、少し行くと白壁の竜宮城に見立てた水族館の入口が右手に見えてきた。
外の水槽にはオットセイがものすごいスピードで泳いでいるはずだ。

少年の家は漁師をやっていた。
珍しい魚が、建網と呼ばれる小型定置網に入るとそれらを水族館に提供していた。
少年はフリーパスで入場できた。

真っ先にオットセイに会いに行った。
黒い頭が水面に出ると、背中、尻尾と流れるように水面に没していく。
再び浮上し息を吐く。
オットセイの泳ぎは優雅で少年の心をとらえて離さなかった。
長靴の中が水浸しになっても気にならず、飽きもせず、少年はただひたすらに眺めていた。

時が過ぎ、少年は引き返すことにした。
雨は止んでいた。
長靴は相変わらずガボガボという音を立てている。
走り始めるとガボガボがガッガッガと音を変えた。
至福のひと時だった。

一つ冒険を終えたのだ。

※アマヒコ:フード


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