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区別と差別。平等と公平。①

区別は、違うものと認識するもの。
差別は、違いの差を認識するもの。

区別は必要だが差別は良くない
本当にそうでしょうか?

私は「差別をなくそう」という言葉が使われなくなって欲しい。
「不公平をなくそう」と声高らかに叫びたい。
「悪意ある言動や侮蔑表現をなくそう」と伝えたい。

[差別]
(1) ある基準に基づいて、差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また、その違い。「いづれを択ぶとも、さしたる―なし/十和田湖桂月」
(2) 偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また、その扱い。「人種―」「―待遇」
     *『大辞林 第三版』より

世の中で悪とされている差別は、本来の差別の意味に優劣という観念を加えたせいで、一方が不利益や不平等を受けることでしょう。

妊婦だった私には、差別(1)がとてもありがたいものでした。
なくして欲しい差別(2)行動のせいで、差別という言葉そのものが悪い言葉になっていることに違和感を覚えます。
そのせいで、差別(1)行動が起こしづらい世の中に感じているからです。

さらにいえば、相手の良心が起こした行動を「差別するな」と拒絶する人たちが減ると良いなと思っています。

自分よりご年配の方に席を譲って「年寄り扱いするな」と差別を咎(とが)められた学生は、他人に親切にすることを躊躇(ためら)う大人になることでしょう。

そこは素直に「ありがとう、でも筋トレ中なんだよ」と返すくらいの余裕を見せて欲しい。

人への親切に、区別か差別か悩む人がいなくなればいい。


誰もが同じ見た目ではないように、脳内やステータスが同じでないことを見落としがちだ。

私がゲームでよく考えられているなぁと感心した例をあげると…
主人公に男性を選ぶと、攻撃力や防御力が10で回復やサポートが0。
主人公に女性を選ぶと、攻撃力や防御力は7だが回復やサポートが3。
こういった男女差別はあって然るべきで、男女差を知ることで公平性が保たれるのではないかと思うのです。

そういった男女差別があって初めて男女平等は成り立つと思っているのですが、差別そのものをいけないことだと謳(うた)っているせいで苦労していませんか。
資本主義であり効率主義である現代において、適材適所は避けられない摂理(せつり)であり、能力を割り振るのであれば区別だけでは不十分です。


生まれた家で使える財力は違うでしょうし、生まれた性で体力も違うでしょうし、生まれた世界で能力も違うでしょう。

たとえば目が見えなかったとして、耳が聞こえなかったとして、足がなかったとして、貧乏だったとして、差別されないことは正しいことでしょうか。

平等にしようと扱う区別だと、教科書が点字教科書に変わるだけかも知れない。
公平になるよう差別してくれたなら、音声レコーダーやタブレットが使えるようになるかも知れない。

差別とはとても身近な区別であり、人が人のために行動を起こすための基準になるものです。



追記:我が家の一コマ

お風呂掃除やお米炊きをしてくれた妹に500円のお小遣いを与えて、何もしなかった姉にはお小遣いを与えなかった。

「姉妹で扱いに差をつけているから虐待だー!」と姉が言った。

「同じようにお手伝いをして、あなただけがもらえなかったときに初めて虐待の可能性が出るんだよ」と私は教えた。


追記:過去の一コマ

姉妹二人で一緒にお手伝いをしてくれたとき、11歳の姉に300円、8歳の妹に200円与えた。

二人とも全力で手伝ってくれたにもかかわらず、お小遣いに差があるのは完成度であったり信頼度であったりする差別によるものだった。


姉が13歳・妹も10歳になると米炊きの能力に差はないので、どちらが手伝っても100円である。

お願いした時に気持ちの良い返事だとチョコやマシュマロといったオマケがついてくるらしい((´∀`*))これもまた差別♪

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