④ エゴの声 / 目醒めと病気とタイムウェーバー -私にとって 病気は本当にGiftだった
並木良和さんの記事
こんな風に病気に向き合う日々を過ごし始めていたある日、病気とは何なのか?何故ひとは病気になるのか?それを知りたくて調べていたら出会ったこちらの並木良和さんのインタビュー記事。
その中でも心に残ったのは以下の部分。
N;だから『サインである』という捉え方ができるかどうかってすごく重要なんですよ。まず人間は、がん等になると特にそうですけど「死んでしまう!」「もう、い、命が!」「『サインだ』なんて言ってる場合じゃないわよ」って。もう、スピリチュアルを学んでいる人だってそうなっていくんだよ。「『がん』なんてなったら、スピリチュアルとかって言ってる場合じゃない」って(苦笑)。もうこれは本末転倒なんですね。
本当にその時に、それを「あ、サインなんだな」って捉えて、そして自分を振り返り、自分の生き方をもう一度見直すチャンスとして受け止められるなら、その人のステージは何個も上がって行くことになるわけですよ。結局言い方を変えると、それくらい大きな出来事を起こして、目を醒まそうとしている訳だから。
Q;がんの話になっていますが、インターネットで調べればこういう症状はどういうステージ・状態まで進んでいて、その生存率が何%という世の中のネガティブな情報によって、患者はとても心穏やかにはいられないし、家族も巻き込みます。そして大概の人は「とても怖い」と死への恐れを抱きます。
どんな人も、魂や精神的なこと・スピリチュアルな世界を学ばない限り、恐れは取れないものなのでしょうか?
N;恐れも限界の限界までいくと、いわゆる、恐れの極みまでいき「ここまで下がって最大限に下がって。そしてどん底までいくと、上がるしかない」って言ったりするでしょ?それと精神的には同じこと。どん底まで恐怖を味わう。後はもう『手放す』っていう心境になります。「もう、降参します。」って。恐れすらも。
恐れでワーとかキャーとかウーってやってることすらも「降参して手放します。」っていう状態になったりします。その時にその人は浮き上がります。そして、そこから精神的に上がっていくことが起きた時には、肉体が奇跡的に回復するみたいな状態になるわけです。本当は奇跡じゃないんですけど。
これを読んで涙がでてきました。
恐れも限界の限界までいくと、いわゆる、恐れの極みまでいき「ここまで下がって最大限に下がって。そしてどん底までいくと、上がるしかない」って言ったりするでしょ?それと精神的には同じこと。どん底まで恐怖を味わう。後はもう『手放す』っていう心境になります。「もう、降参します。」って。恐れすらも。
肉体が奇跡的に回復するみたいな状態になるわけです。本当は奇跡じゃないんですけど。
そうか...!という納得と共に。私は今これを体験しているプロセスだと直感的に思いました。
沢山沢山でてくる不安や恐怖を認め、受け入れ、手放し、そしてサレンダーしていく。そのプロセスを淡々とやると共に「もし、全てが終わったら。私もブログや何かで綴ろう。この記事に出会えて私が気づきを得られたように、誰かに必要なことが残せるかも知れない」との思いが再び湧いてきました。
また、「なるほど、恐れの極限まで行く、というようなバイブレーションの手放し方があるんだ」、とも。
今まさにそうなっているな、と。加えて私自身はこの文章から「今、私は大きなジャンプをする前に一回縮んでいる状態なんだ」と思えました。「そうか、これから私は大きな大きな、いまだかつてないジャンプをするんだ」と。決めたらそうなります。私はそれを採用しています。なので「私は今、いまだかつてない大きなジャンプをするその前に一旦下にしゃがんでいます。」と改めて決め、宣言をした出来事でした。
セラピストとしての葛藤
当時、私なりに「目醒めとは」を発信したり、他の誰かになろうとせずに真実の自分を生きていくということや、統合の考え方を伝えたりしていました。花療法士としてそれらのサポートにフラワーエッセンスを使ったセッションを提供したりしていました。その私に浮かんでくる言葉たち...
・自分自身がこんなことになって目醒めとか言える立場じゃないじゃん
・自分自身が体現できていないのにそんなの言える資格無し
・あなたが目醒めについて語るなんて100万年早いよ(こうして文字にすると...😂)
今となれば、これらは「エゴ」の声だとはっきりわかります。言うだけ言って煽り立てるのが仕事のエゴ。本来の、真実の私の声ではありません。ですが、当時はそれを見抜けずこのエゴに耳を傾けるだけでなく「ほんとだよね〜」「やれてから言えって感じだよね!」と会話に参加してたという...😂😂😂
エゴは悪いものではありません。そういう役割として、私が分離の意識をたっぷり体験できるように、波動があがらないように存在してくれているのです。私からそうお願いをしているのです。
お願いをしたとおり、エゴは良い働きぶりを見せてくれました。
そうしてエゴと日夜会話を交わしていた私は次第に発信が出来なくなっていきました。そして発信ができる私になるために、早く病気をなおさなくては、となっていきました。そして病気が治らない私に「何やってんだ」と見張り声をあげるようになっていきました。「病気を治せないせいで、私は発信が出来ないではないか!!」となっていきました。
繰り返すこのパターン。
そう
お前はダメだ
こうなれてないぞ
やれてないぞ
と鬼軍曹のように👹自分を責め立てる癖。常に自分に駄目出しをする癖。
向き合う必要があるのはここなのに。
仕事で身体を壊すまでも働いてしまうのは何故なのか。
もうできませんと言えないのは何故なのか。
今回はパートナーシップの課題としてでた「言いたいことを飲み込む癖」はどこから来るのか。
自分の本音を無視してしまうのは何故なのか。
ここに集約されていきます。
そしてそこへの向き合いは心の土台を整えるコーチングに出会ってから何故鬼軍曹の私がいるのか、この鬼軍曹の私はいつからいるのか、そしてどうやって生まれてきたのか、この鬼軍曹は一体誰の投影なのか、全てやってきたはずだったのに。わかっていたはずだったのに。
つまり、形をかえて同じ課題(でもより大きくなって)が出てきているだけなのに。
そこは見抜けないまま、鬼軍曹の私は日夜エゴと仲良く語り合っていたのでした🍶
セラピストとしての気づき
エゴとの仲良しは続きながらも各種ヒーリングセッションは受けていました。その時に感じたのは「あ、私、このヒーラーさんの波動状態まで引きあがろうとしている」と言うことでした。ヒーラーさんたちは私と対話している時に出す波動を調整してくれていました。
私はこの時とても弱っていたのでヒーラーさんが眩しい太陽のような波動をだしていたらモグラのように穴からでてこれなかったかもしれません。だからといってものすごく弱く労るような波動では前向きに進んでいこうとしている私にはマッチしません。イメージはボルダリング。私が顔を上げ手を伸ばせるところの波動で存在してくれている。(施術は別です)そうして私があがればまた、その先の波動で存在してくれている。
これを感じたのです。
この体験から「ああ、ヒーラーさんやセラピストってクライアントさんが来て目の前にいる時にやる大切なお仕事のひとつに自分の波動を適切なものに変化させることも大事なんだな。セラピストとして私が波動を高く保ち続けていればそうすればクライアントさんは手を伸ばし勝手に上がっていくんだ。この言葉以外の部分を大切にしながらセッションをすることが大切なんだ」とわかった出来事でした。
また、目醒めを決めると私をふくめ、みなさん通る道に「家族も連れて行きたい」「パートナーを連れて行きたい」があると思います。でも連れていこうとするのではなく自分に集中し続けることで相手に同意があれば勝手に上がってくる、その仕組みを別の形で体験したようにも思えました。自分に集中、それだけでいいと改めて思った出来事だったことに加えて、共振とはこういうことか、が体感できた出来事でした。
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