見出し画像

評価と承認欲求

小売業に従事する拗ねおばちゃんである。

売場に立てばお客様評価される。
〇〇さんは対応が良かった
〇〇さんは感じが悪かった
このようにコメントなども寄せられ、数値化し朝礼で毎日共有される。

企業としてはもっと評価されてこい、評判をあげろ、課題を改善しろというのが目的で、現場の背中を押す。

社内ではサンクスカードなるものもあり、ありがとうを形としても伝え、モチベーションを上げるツールとして存在する。従業員同士で誰が沢山貰ったか、誰が沢山渡したかを営業成績をグラフ化するような形で毎月掲示し可視化する。
私はわりと多くサンクスカードを渡すが貰うのは多くない。
いつも沢山貰うのは面倒見のよい人気者だ。
当然である。

また同僚が私に対し評価数値をし、それを踏まえて上司の評価があり、更にその上の上司の評価により賞与が確定する。


プライベートでは
インスタのいいね👍は勿論一桁
フォロワーは猫🐈アカの5分の1だ

家では夫が褒めてくれるわけでもない

学生時代には先生が素行や学力など総括的に生徒を評価し、運動系の部活動では顧問がジャッジし試合に出れるか否かが決められる。

このように常に自分の日常には子供の頃から人の評価というものがつきまとう。
みんなはいつも褒められて拗ねる私。
それにだんだん疲れてくる。

人からの評価のない世界で生きたい。
嗚呼もっと自分らしくありたい。
自分の個性や第一印象で決めつけられないものをみつけたい。

そうだ!
資格試験だ。
勉強すればしただけ、ハイスコアを得られる。
自分が感じの悪いおばちゃんだろうが、絶世の美人であろうが、経歴がはちゃめちゃだろうがテストの点数さえ取れればいいのだ。
これは不貞腐れた私の心持ちを随分と明るくさせた。

世界遺産検定も1級まで合格。
そしてマイスター試験。
人が人を評価するものなので自分のスコアが何点かも公表されない。
なんと、合格!
結局、見えない誰かが私の論じた考えを評価して合否を判定。
だが承認欲求は満たされた。
しかし持久力はない。

解決策は自分の他者と比較してしまう心の感度を下げるか、転職するしかない。

YouTuberになるか?
もうこれは評価の最たる職業だ。

自分でお店のオーナーになるか?
口コミで結局評価される。

noteでスキ♡増やすか?
頑張りますが、これも評価…

結局山奥で仙人のように一人で生きていくしか、評価の存在しない生き方は無理なのかもしれない。
そしてそれならこの世界で生きてゆくしかないのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?