いま、ここにいる

生きているといろんなことがあるけれど、
そんなもろもろも受けとめて、思いっきり生きていこうよ!
だって、からだがあるんだもん、
わたしを応援してくれるからだがあるから、
大丈夫。
思いっきり生きていこう!
そんなことを思いながら、日々の活動しています。

そんなわたしの、
「生きる」を愉しむからだ応援隊
という言葉がしっくりくるまでの人生を、書いてみようかなと思います。

生きるを思う(幼少期〜イマ)

生きるって、ふだんの生活の中というより、誰かとの別れのように、
“ 終わる ” と向き合うことになったときに、考えることが多いのかなと思います。

わたしも、大切な人との別れの度に、
生きるってなんだろうと、思いを馳せていました。

大ばあちゃんが交通事故で亡くなったとき。
友だちが交通事故で植物状態になったとき。
病気で脚が短くなっていったおじいちゃん。
病気がわかってから半年で亡くなったおばあちゃん。
100年生きたおばあさん。

生きてるわたしと、もう動かない亡くなったひと。
心臓だけが動いていることと、それ以外も動いていること。
ない脚がかゆい、かたちのない場所にふれられないこの手。
なんでこんなことに…と思わず思ってしまったり、早くあちら側からお迎えが来てほしいと思う心と、何も思わず生きている心。

生きるってなんだろう?
生きてるって、なんだろう?

そんなわたしが、生きるってよくわからないと思いながらも、
「わたしは絶対に生きる」
と心の中でかたく約束したのは、大学時代に、親友が亡くなったときでした。

事故でも、病気でも、自ら終わりを決めたわけでもない、突然の別れ

わけもわからず、
泣くことも大してできず、
別れなければならない、この状況

そんな中で、親友のご両親が、
「生きてね」と…。

生きる

いのちを保ってね
という意味だったかもしれない。
でも、ほんとうに、それだけでいいのかな?

あの子じゃないけれど、わたしは生きる。
呼吸をして心臓を動かしている生命体が何かある、という感覚ではなく、
「わたしが、生きる」
という感覚を、何をするとかしないとか具体的に何かを思ったわけではないけれど、ただ漠然と、でも心の中で、かたく誓ったのが、このときでした。

表現する(幼少期〜イマ)

小さい頃から、「一言多いっ!」と注意されることが多かったわたしは、思っていることを口に出すことが正直、怖いなと思って成長しました。つい口から出ちゃうこともありますが、自分にとって大切なことほど、奥へ奥へ…。
奥へ奥へしまいこんで、自分の大切がよくわからなくなりつつも、自分以外のひとの、本当はこう思ってるんだろうな、ここが大切と感じてるのかなに気づくことは多くて。

それが、絵を描くことや、手しごと好きと相まって、デザインのお仕事につながりました。

自分の好きなものをイチから作り上げるというより、
あなたの大切を感じて、大切が伝わるように、表現する。
大切なものを見つけられないときは、一緒にさがしながら。
そして、ほんのちょっぴり、わたしスパイスもいれつつ。

大切を感じ取って、表現されたものが完成して、それを喜んでもらえるという流れはとても楽しくて大好きな時間だけれど、
それは、

『元気なからだ』と、
『パソコンが使える環境』

このふたつがあるからこそできることだということにだんだんと気づき、
幼い頃から近くに感じていた、「生きる」と「からだ」に目が向くようになっていきました。

どんなときも、生きている間は生きる

からだに目が向くようになっていったきっかけのひとつは、東日本大震災でした。

災害を免れて、生き延びたのに、
避難所や仮設住宅で亡くなったり、犯罪が起こっているというニュース。
もし、これが、自分の避難した先で起こったら?
何もできなかったと思う自分も、
何もできないと思っている自分も、
何もしない自分も、
想像するだけで、イヤ。

阪神淡路大震災のあと、一日だけのボランティアで訪れた、仮設住宅が立ち並ぶ空気や景色、におい、感覚がリアルによみがえってくる。
いつもとはちがう中にある、いつもの日常。

たとえ、身ひとつで逃げたとしても、
生きたなら、生きようよ!と
無責任かもしれないけど思ってしまう。

そんなわたしが、妊娠して、出産して、
守りたいいのちができたことで、
「生きる」「からだ」ということに、さらに想いを強めていきました。

この子がより生きやすく、
よりよく生きるには?

まだ歩かない子をつれて、いろいろ学び、
学べば学ぶほど、ダメが増えてがんじがらめになっていったときに出会ったのが、いま、わたしが施術や講座で伝えている
ホロソフィーの世界。

何かがあるとか、ないとか、
何かができるとか、できないとか、
何かが良いとか、悪いとか

いろいろ思うことはあるけれど、
間違いなく言えることは、
『いま生きている、このからだがある』
『からだはいつも、わたしが生きるために働いている』

そんな考え方に出会ったことで、
うまれたこの子を、どんなことからも守って、よりよく育てなきゃ!と思っていたわたしの肩のちからが、すっと抜けて軽くなっていきました。

そして、日々のケアの参考になったらいいなと思い参加したお手あての講座、ホームホロソファー講座で、お手あてを知って。
正直なところ、学んだときは、なんとなく?の感覚でしかありませんでした。それに、こんな簡単なことでかわるのかな?とも思っているくらい。
でもその数日後、子どもの寝かしつけをしていたら強烈に脚が痛くなってしまって、
せっかく寝た子を起こしたくないから、夫も呼べず、起き上がることもできず、
どうしよう、何もない、痛い、たすけて…
そうだ!と藁にもすがる思いで、お手あてを思い出しながら、自分のからだに手をあてたのです。
手をあててすぐ、ほんの少し痛みがやわらいだ気がして、そのまましばらく待っていたら、いままで感じたことのない感覚で、
わたしの手の下の、からだの中のほうが、
どぅるるんっ!と動き、
サーーーーー……と静かになっていく感覚とともに、うそのように痛みがなくなっていきました。

びっくりしつつ、
すごいと思う気持ちと、
これだ!と発見のわくわくした気持ちに。

何もないと思っていたけれど、
そこに、からだはあった。
その場で何の準備もなく
手をあてて、待っていたら、
からだが、変化した。

今回は自宅のベッドの上だったけど、
おでかけした先で泣けちゃう子どもにも、
病院へ誰かのお見舞いに行ったときでも、
避難所へ身ひとつで避難したとしても、
からださえあれば、できることがある!

症状が悪いわけではなくても、つらいものはつらい。
いつもとちがう環境にストレスを感じない人はきっとそんなにいない。
いつもとちがう中でも、
ここにある、からだ。

つらいが積み重なるのを指をくわえて見ていたり、
目をそらしたりするんじゃなくて、
手の届く範囲だけでも和らいだら、
ほんの少しかもしれないけれど、
きっと、その先がかわってくる。
わたしは、そちらの道を選びたい。

この、お手あてのときから、わたしの中の、
「生きる」「からだ」「表現する」
が、だんだんとつながりを見せてきたように感じました。

わたしは、生きている

「からだはわたしが生きるために働いている」という感覚や、
「いまわたしはここにある」という感覚が、すぐに腑に落ちたわけではありません。

今までの人生、
よくあるいじめは、学生時代は同級生や先生から受け、社会人になってからもあり、わたしなんかが生きてる意味ある?と思うこともいっぱいあったし、
言うのもはばかられるようなこともいろいろあって、つらすぎて、この世から消えてしまおうかと思ったときだって、何度もある。
自分の選択に自信を持つなんてかけらほどもできなかったし、
漠然と、わたしは生きると思ってからも、自分という存在の意味なんてさっぱり見つけられなくて。

それが、ホロソフィーに出会って、からだのことを知って、からだってすごい!の感覚に感動して、これだ!と施術の学びを始めて。
「目の前の人に元気になってもらえますように!」と思って始めたけれど、実はその言葉の裏には、
「わたしなんかいいから」
と無意識に入れてしまっているということに、学びのときの、施術の手から気づくことに。
「役に立てるから、存在しててもいいよね」
にすがろうとしている自分に気づかされました。

でも、ほんとは、そうじゃないよね。
わたしがいて、あなたがいる。
あなたとはちがう、わたしだから感じられることがある。
わたしとはちがう、あなただから感じられることがある。
何かができるとか、できないとか、
意味があるとか、ないとか、
そんなことはぜんぜん関係なく、
そこに、わたしとして、存在しているということ。
それだけでいいんだよ、それが大切なんだよ
ということを、
あたまでの理解だけでなく、
何度も何度も、からだにふれることで、少しずつ少しずつ感じて落とし込んでいく。

そこから、施術をおしごととしてさせてもらえるようになり、
講座でも一緒に感じさせていただく中で、
さらにさらに深まっていき、
どーんと、あぁ、そうだよねと感じざるをえなくなったのは、2年半前。

二人目妊娠8か月。
おなかの子の突然の異常で、緊急手術。
母体の問題ではなく、胎児自身の問題だったため、出産後、赤ちゃんの容態が落ち着き次第、すぐに赤ちゃん自身の手術。
赤ちゃんの手術も奇跡的に成功し、無事に翌日を迎えたと思ったのも束の間、容態が急変し、赤ちゃんはそのまま亡くなりました。

必死におなかの中で生き、
うまれてからも、何とか生きようとがんばり、
手術が終わるまでに亡くなるかもしれないと言われたけれど、それも乗り越え、
生きるを思いっきりがんばった子。
ずっと仮死状態だったわけじゃなく、声をあげて泣いたり、目をあけてまわりの様子をうかがったり、
外の世界をまるっと一日以上、生ききった子。
ほんと、すごいと思う。

そのあとにね、病院のはからいで、わたしが退院するまでの5日間、お部屋で赤ちゃんとふたりきりで、過ごさせてくれたのです。
お見舞いもNGな世の中だったから、荷物を運んでくれる夫がいる時間もあったけれど、赤ちゃんと二人きりの時間が本当にたっぷりあって。

亡くなっていても可愛いわが子。
からだがあるうちに、できることをさせてもらえるありがたさもある反面、
もう動かないわが子のとなりで、自分自身は生きているを痛いほど感じることに。

目が覚めた
ごはんを食べた
トイレに行った
むくむ脚に手をそえる
そえた手の下に感じる自分のからだ
傷が痛む
一瞬でも眠る
窓の外の空を見上げる
向きをかえる
指を動かす
まばたきをする
呼吸をする

何をしても、何もしてないつもりでも、
あぁ、わたしは生きてるんだ…
を、感じてしまう

痛みだって、からだが生きるために必要な反応だし、
眠り続けずに起きてしまうし、
ごはんも食べれてしまう

からだは、わたしが生きられるように、
働きつづけている。
そして、からだがそんなふうに働いているのは、
他の誰でもない、わたし自身が、
心のどこかで、生きようと思っているから。
からだは、わたしの心の声に、ただただ素直に応えているだけだから。

もう起きることのないわが子のとなりで、
生きているを感じている

いま、生きている
からだは、生きようとしている
わたしは、ここに、いる
どこまでいっても、ただそれだけなんだ
が、あたまで考えるのではなく、
自分の中に、どーんと落ちてきた瞬間でした。

これからのわたし

何をしても、何もしなくても、
何を感じても、何を思っても、
全部全部受けとめてくれるからだは、
いま、ここにある。
そんなからだと、
あなたは、どう生きていく?

わたしが生きる
あなたが生きる
ひとりひとりの色で
そのときそのときの色で。

どんな色も、そういう色があるというだけ。
鮮やかなオレンジが、あたたかく元気をもらえるように感じるときもあれば、
まぶしすぎて、疲れてしまうように感じることもある。
鈍いグレーが、どんより見えることもあれば、
ちょうどいいバランスでかっこよく見えることもある。

もし、立ち止まってしまうことがあっても、
「わたしのからだは、いま生きている」
を、感じられたら、
わたしがそうであったように、
それだけで、顔をあげることができるかもしれない。

からだの本来持っているちからを知ることで、
踏みだそうとする一歩が、ほんの少しでも、軽くなるかもしれない。

今までばらばらに見えていたわたしの興味が、
「生きる」と「からだ」を思う中で
つながり始めたここ数年。

これからもっと彩りが増していくだろうし、
いろんな色を感じて、まざりあって
わたしとして生きていく、
いままでに続くこれからを、愉しんでいきたいと思います!


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