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春は懐古的になるのはなぜだろう?

久しぶりの投稿です。
今朝は実家に荷物を取りに、久しぶりに単独ドライブをしました。
ドライブってやっぱりいいですね〜
天気も良かったし、気分が上がりました。
いろいろ思い出したり、考えたりしてたら、だんだん書き残しておきたい欲が膨らんだので、今日は久しぶりに失礼します。

私の実家は長崎県の最南端に近い、海と山に囲まれた町。
長崎の方に、出身どこ?と言われ、住んでいた旧町名を伝えると、
だいたい『南部の女やね。』と言われます。

長崎市内から南下していくと店と人が徐々に少なくなっていく
閑散として寂しい感じは否めないが、住んでいた町は私にとってとても居心地がいい。
町の良さは道路や街路路、バス停等々随所にあらわれている
人が減っているはずなのに、変わらず丁寧に清掃され、整理整頓されている。草木は程よい状態の長さを保ち、いつも綺麗にされている。
これらもここに住む方々の献身的なお手入れの賜物。
母も自治会に参加し、お仕事を任され頑張っている。
この町は、そんな町なのである。

大学を卒業し大阪で就職した私は、人がたくさんいるのに、行き交う人々の中に知り合いがいないことが苦痛でたまらなかった。(奇跡的な再会ものちにはあるがここでは言及しません)
人によってはそんなの気にならないとか、むしろその方が楽という意見もあって当然であるし、自分もそっち側の人間だと思っていた時もあった。
が、大阪の中心部が生活圏だった私は、地元に戻った時180度様相の変わった環境に戸惑いは全くなく、居心地のよさから充足した満足感を日々増していったのは言うまでもない。
あの時は、大阪に恋人もいたし、そのまま大阪に永住するというのは現実的にあったが、24の歳の冬、地元の友達が頑張って大きなホテルの宴会場を貸し切り、大規模同窓会をしてくれたのが、少なからず私の転機であったことは間違いない。
あの時に同じ卓で、わいわいただただ話し、飲んで、食べて騒いだ友が私の中の諸行無常とは相反する、永遠に変わらないものとして大事にしたい存在である。
努力すれば変わらないものがあり、変えたくないから大切にしていきたいと思うのだ。

地元の町は不思議である。
これと言って何もないが安心感に満ち溢れている。
25で地元に戻り、3年弱あの場所で過ごした日々は大人の夏休みのような気分だった。
仕事が終わったら、連絡が入っていて、町唯一の居酒屋さんであるとても美味しい焼き鳥屋さんで友やその家族と食事をしたり
バスを待っていると、見かけて声をかけてくれる郵便屋さんの友人がいたり
はたまた、見かけて車に乗せてくれ、出勤先まで車の中でわいわい話したり
数え出したらキリがないほど、想定外予定外に知り合いに会い、そこから素通りせず何か楽しむことが訪れることが多々あった。

20代のそれなりに可愛くチャーミングな女の子たちが集まり、町内で花見をしたり、お酒を飲んだり、BBQもしたな〜

先日カレーの間借り営業に地元の友達が遊びにきてくれた。
友人たちも本当にひさびさに会ったそう
コロナになり、家庭を持ったり、医療関係で勤めたりしているから仕方がない

たまたま、営業終了間際だったこともあり、他のお客様もおらず、ゆっくりと話しを楽しむことができた。
いや、ゆっくりという言葉は似つかわしくないほど騒がしくマシンガンなトークだったかな?
とにかく楽しかったし、今回これなかった友達ともすごく会いたくなった。
コロナがあってから、定期的に騒いでいた集いもなくなり、今ほんとうに各々がそれぞれで頑張っている。
そろそろ、集まってもいいんじゃないかなと思う。
声をかけてみようかな。
また、騒がしくなるだろうけど

私の地元は何もないっていわれがちだけど、私は何もないあの場所で育ったから今の自分があると思っている。
何もないなら何もないなりに考えた。
楽しいことを見つけて、自分たちで作ったり、騒いだり、とにかくものではない友との関わりで満足する方法を身につけてきた。
そして、予定にはないことでも、それを楽しみとし、イレギュラーなおもしろさにわくわくしていた。

帰りの車の中でそんなことを考えながら、どうしても今のこの幸福感や地元、そこにまつわる人たちへの感謝を書き留めたくなった。
書き残したくなった。

今を満足に過ごせているのは、過去の自分や自分を作ってくれた要素たちのおかげ。
たまには、懐古的になりながら、今を生きるのもいいでしょう。



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