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養子と実子を同じように愛せる?

特別養子縁組を検討し始めて4年経ち、想定外の自然妊娠で養子と実子がほぼ同時にやってきたことはこちらに書いたとおりですが、今日はその妊娠発覚のときに一番考えたことから。

ラオス政府から7月生まれ男の子をオファーされ、ラオスに1か月行くための段取りをつけるため、会社のチームや人事にも状況を説明して、お祝いしてもらったその2週間後。

チェックアップの一環でしてもらったエコーの診察台の上で突然、妊娠12週であることを告げられました。

文字通り、思考停止。嬉しいかもわからない。どうしてそんなことが起きたのかもわからない。白昼夢を見てるみたいだった。

エコーには、確かに胎児らしきものが写っていて、なんなら足がニョキっとみえて、心音がきこえた。誰も知らない間に、もうそこにいたのです。

ふわふわした感じのまま、エコーを手にしてクリニックを出て、夫と合流してランチ。

とにかく実感がない。

本当にそれが一番最初の感想らしきものでした。だって、ラオスに行くことになっていて、わたしたちはきっと来年は親になれるかも、というその時。

5年間、不妊治療で苦労した分、妊娠したからって無事に出産に漕ぎつけられる自信なんて全くありませんでした。

そんなあやふやな妊娠のために、ラオスの赤ちゃんに届きかかってる手を引っ込めるのか。
その子はどうなるのか。
出産に至らなかったら後悔しないのか。

夫はラオスの赤ちゃんの写真を見てイエスと言った以上は、諦めたくない。乱暴な言い方をすれば、ここで態度を変えることは、わたしたちもこの子を捨てるに等しいとうよう口ぶりでした。そして当然、この想定外の妊娠も継続したい、という意見でした。

いろいろな疑問が頭を駆け巡りました。ぐちゃぐちゃの頭が落ちつくと、私が結局一番気になったのは、養子と実子、同じように愛せるのか。養子に来てもらったとして、彼に望ましい場所になれるのだろうか、ということでした。

妊娠がわかってすぐに胎児に愛情を感じたかと言われると、その時点では、そんなにはっきりとした輪郭を持っていなかったように思います。

ただ、お腹が大きくなったら?胎動があったら?出産したら?さすがに愛情が湧くんじゃないか。かたや、ある日突然初対面でやってくる赤ちゃん。もともと、こどもが大好きという性格でもないのに、スタートラインが違いすぎやしないか。本当にふたりとも「同じように」愛せるの?と頭の中でぐるぐると考えていました。

この時にどっちも諦めない道を選択できたのは、あるふたりの言葉を思い出していたから。

ひとりは10年の結婚生活の末に養子を迎え、その後3人の実子に恵まれた夫婦。「養子の娘がかわいすぎて、生まれてくる実子を同じくらい愛せるか不安だった」と話してくれたことです。これは、私たちが養子縁組を考え始めた最初の頃に共有してもらった体験談で、「養子と実子ってそんなにかわらないのかも」という気持ちの土台になってくれていました。

二人目は、ふたりのこどもを育てている別の人からで、「結局、自分のこどもでも、全く同じようには愛してないし、でもどちらのこどもも目一杯愛している」というようなことを話してもらって、少しずつ前向きに、できることならふたり迎えたいなという気持ちになってきました。

要は、違う人間だから全く同じ気持ちにならないのは当たり前だし、それはそれでいいんだ、と納得できたことが最初の一歩だったように思います。

ふたりこどもがいて、どちらかのほうがよりかわいい、ということがあるとして(これ、世の中の親御さんはあるのでしょうか)、養子か実子かという要素は、上の子と下の子、男の子と女の子、社交的な子と内向的な子、なんにでも入れ替え可能だって気づいてから、養子と実子というものが、愛情の度合いを決める決定打にはならないだろうな、と気が楽になったように思います。

実際に、ふたりがうちに来てからも、どっちもかわいいけど、やっぱりそれぞれに対する感情は全く違うので「同じように」は、愛していないし、なんなら、同じになりようがない、と改めて気づきました。どちらのことも、ありのままの彼らを愛していきたいなと。

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