ああ、猫よ

猫が好きである。
どんだけ好きかというと、小学生の時には野良猫をさわりすぎて熱がでて学校をやすんでしまったぐらい好きなのだ。
親は猫がきらいで、子どもの頃は猫が飼えないうっぷんを、お祭りで売られていたドギつい色をしたヒヨコを立派な白色レグホンに育てたり、金魚すくいでおじさんが最後にお情けでくれた小さな金魚をフナぐらいに大きく育てあげることで、はらしていた。そのうち興味は映画スターになり、アイドルになったり、サボテンになったりしていった。そして大好きなものは仕事になったり、家族になったりしていった。
子育てが終わって、仕事にも少し余裕ができたとき、後輩の子がいった。「女の人って、本当に自分の好きなもの、やりたいことにフタをして生きているよね。」と。
私は、唐突に思い出した。私は猫が大好きだったと。そして毎日毎日、保護猫の里親募集サイトをながめる日が続いた。3年たって私は43になっていた。今の猫は、長い子だと20年は生きるといわれている。今、飼わないと私は猫をちゃんとみることができないだろう。猫を遺して死ぬわけにはいかない。なんとしてでも猫を迎えるのだ。
そして今、私の足元には黒い猫とトラ猫がいる。いつでも朝でも夜でも、嬉しいときも辛いときも、自由にさわることができるもふもふが家にいることでの、気持ちと感覚の両方が癒されるという安心感は想像以上だった。
彼らは、家からでることはできないのに、いつも泰然とふるまい、悠々と歩き、好きなところで眠り、好きなときにご飯を要求する。人が踏み潰してしまえば、その命なんて一瞬できえさってしまうのに。それを、いつでもできるはずの私もいるのに。猫たちは、その不自由さをもろともせず、世界は自分中心にまわっているって思っている。人もそうありたい。どれだけ力や富を手に入れても、肉体といういれものに入っているうちは、ヒトは不自由である。その不自由さをもろともせず、生きたいのだ。猫に対する憧れと諦めで、私はひどくやさしい人間になれているような気がする。
世の中、みんな猫を飼えばいいのに。そのあたたかさ、もふもふが気持ちとからだをいやしてくれ、そのきままさに目を細め、世の中、思い通りにならないこともまぁある、ということを知る。イライラしたりすること、喧嘩したりすることも減るんじゃないかなぁって思う。
No Cat, No Lifeなのだ。

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