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人生における高校スポーツの役割とは
漠然と「スポーツはやった方がいい」と子どもに勧めてきたのですが、子どもの成長とともに”高校生”という時代の大切さがわかってきました。
高校スポーツは人生と一緒
後悔しても
やり直しはできない
なるほど、この時代のことが人生に影響を与える原体験となることも少なくは無い。
時間が無限ではないことを知る
誰にでも平等に流れてきた時間
当たり前のように過ごしてきた時間
全ての人に訪れる競技者としての「高校で最後」の日
小さなころから競技に関わり、思うような成果が得られない時、「次こそは」「中学生になったら」「高校生になったら」と前へ前と気持ちを繋げてきた子どもは多いのではないでしょうか。
でも否応なしに必ず「終わり」の日はやってきます。まさに「人生と一緒」です。そして、その日までに自分がやってきたことを振り返ることが出来るのもこの年代の特徴だと思うのです。
半分子ども、半分大人
子ども時代に「今、頑張らないと後悔する」と大人から言われてしぶしぶ練習をした人も、ちょっぴり大人になって、自分の意思でトレーニングに打ち込んだり、いい感じにさぼったりするようになるのもこの年代ではないでしょうか。
精神的な自律をして、成人になる準備段階がこの高校生という年代です。
レビンソン「成人への過渡期」
親、社会に守られて生きてきた環境から自分で道を切り開かなくてはならないという自覚が芽生える
ハヴィガーストは「青年期」
親からの精神的経済的な独立
その後の人生のスタート
高校最後の大会を終えた時、高校時代を自分が選択して過ごしてきたからこそ、後悔という言葉が自分のものになるのだと思います。
負けて涙する人の多くの涙は、単に「悔しい」という言葉で表すことができないものではないでしょうか。その日を迎えるまでにやってきたことの全てを受け入れ「終わり」をかみしめる。そんな時間だと思います。
目標を失って次への切り替えができない人、結果に関わらず笑顔で終わっていく人、さらに競技を極めようと新たな目標を設定する人などさまざまな人がいます。
やがて大人になり、この時代の競技生活を「原体験」として持つ人も少なくはないのではないでしょうか。
それは、本人は気づいていないかもしれませんが、スポーツを通じて親からの精神的な自律を達成し、自分の人生をスタートさせていたということではないかと思います。
最後に
競技を通じて 「後悔するか、しないか」ではなく、「結果を自分のものとして受け止められる」ことが大事だと考えています。
そのために親や指導者は、競技向上を目指しながらも子どもが自律的に意識決定を行い、行動できるように余白を持たせられるようにすることていくことが大切だと思います。
全ての部活において、ブラック部活、体罰が根絶されることを願っています。