見出し画像

1年を彩る年中行事の通信素材集

 学級通信や学校だより等で、「年中行事」について扱うケースは多いはずです。
 四季に恵まれた日本は、季節の折り目、節目にお正月や雛祭りなど数々の行事を生み出してきました。
 そこには自然を畏怖し、共生しようとする心と共に、神々や祖先に対する感謝と祈りが込められているとも言われます。
 このページでは、過去に私が書いてきた年中行事や季節の風物詩に関するテキスト素材をいくつか紹介します。
 以下は、ちょうど1年ほど前に北海道で書いた通信です。

 =====引用ココカラ=====


年末の風物詩といえば

春の鯉のぼり。夏の入道雲。秋の運動会。

その季節や時期を意識的に特徴づける風物詩は、様々に存在します。

先日は、今季初めてとなる「雪虫」を発見しました。

北海道ではお馴染みの「冬の訪れ」を告げる風物詩です。

他にも、雲の形が変わり、葉の色が変わり、冬がすぐそこまで来ていることを身の回りの様々な自然の変化が伝えてくれています。

そして、2021 年にも少しずつ「終わり」が見えてきました。

年の瀬にも沢山の風物詩がありますが、私が真っ先に浮かぶのは「除夜の鐘」 です。

あの鐘の音を聞いて、一年の終わりを強く意識する人は多いでしょう。

ゴーンゴーンと何度も打つのは、煩悩(ぼんのう)の数に由来しています。

煩悩とは、人の心を惑わせたり、悩ませ苦しめたりする心のはたらきのこと。

それを、鐘を撞くごとに一つずつ祓って、来年はもっと良い年になりますようにと願いを込めるわけです。

煩悩が、全部で108あることはよく知られています。

でも、その全てを覚えている人はほとんどいないでしょう。

かくいう私も、はっきり覚えているのは僅かに3つだけです。

その3つとは、貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)。

煩悩の中でも、特に人の心を蝕む事から「三毒の煩悩」とも言われています。

貪欲(とんよく)とは、簡単に言うと「ほしがる気持ち」です。欲望です。

欲望には、限りがないと言われます。

一つ欲望が叶えばまた次の欲が出てきて、とどまることがありません。

この状態を、貪欲(とんよく)といいます。

貪とは「必要以上にほしがること」です。

お金でも物でも評価でも、必要以上に欲しがったために我が身を破滅に追い 込むケースは少なくありません。暴走した心の欲が、身を滅ぼすのです。

瞋恚(しんに)とは、簡単に言うと「怒り」です。腹立ちともいいます。

不快なものに対して怒ったり、妬んだり、恨んだりすることです。

その不快な心境を表にぶちまけ、周囲をより不快にさせることも含みます。

怒りという感情で、人生を台無しにしてしまうケースも多いです。

さらに厄介なのは、腹立ちや怒りは一時的なものにとどまらず、怨みやつら みとなって残り続けることがままあることです。

いつまでも怒りの火がくすぶり続け、心を荒(すさ)ませていきます。

この心の荒れが、その人を一層不幸にすると言われます。

愚痴(ぐち)とは、「本当のことが分かっていない」ということです。

一般的には不平不満が口からこぼれることを指しますが、実際には「愚かな ものの見方」という意味があります。

自分はいつも正しい。自分こそが世界の中心。他の人はみんな間違っている。

こういう独善的で狭窄な見方のことを指します。

この世界は、あらゆるものが関わり合い、支え合って成り立っているので、 自分だけが正しいということはあり得ません。

そうした本質的なことが分からず、自分の基準や物差しでしか物事を見るこ とが出来ない。

「愚かな知り方」で世界を見ているので、「愚痴」といいます。

本当のことが分からないから、自分の思いだけで不平不満をこぼすのです。

さすがに「三毒」というだけあって、中々手ごわい心のはたらきです。

大みそかに鐘を撞くだけでは、残念ながら乗り越えられそうにありません。

だからこそ、普段からどうやってこの三毒に向き合うかという、日常の過ごし方こそが大切なのだと思います。誰の心にも存在するのが煩悩だからです。

つい先日、大きな病を経験した方が、私に次の話をしてくれました。

今まで、あれが欲しいとか、これが足りないとかいろいろ文句を言うことが 多かったんですけど、病気のおかげで人生の見方が変わりました。もうこのまま命が無くなってしまうんじゃないかと思うほどの病気を経験して、今では 『家族と元気に過ごせることが一番の幸せ』と心から感じるようになりまし た。『他には何にもいらない』とも思えました。生きて、家族と過ごせることがこんなにありがたいんだという感謝の気持ちで、毎日を過ごしています。

このお話を聞いて、知足(ちそく)という考え方が頭に浮かびました。

知足とは、「足るを知る」ということです。

あれも無いこれも足りないと嘆き、怒り、必要以上に欲するのではなく、すでに足りているもの、今あるものに感謝をする心づかいです。

感謝の心で満たされている時、三毒は鳴りを潜めます。

「ありがたいなぁ」や「幸せです」と毎日の生活の中で発する感謝の言葉は、 お坊さんが鳴らす鐘の音よりもずっと自分の心に響くのだと思います。

今年も残り2か月。
感謝の心で2021年を締めくくりたいと思います。
=====引用ココマデ=====

「除夜の鐘」という風物詩から、上のような文章を書きました。
季節の折り目を感じる上で、年中行事や風物詩の存在はとても貴重です。
物を通して、行事を通して、限りある「今」や過ぎ行く「時」の大切さを感じることができるからです。
 2022年も残り2か月ほどとなりましたが、年末年始の風物詩では、こんな文章を書いたこともあります。
 入りの部分だけ、紹介します。

=====引用ココカラ=====

ぜんざいに不可欠な調味料


もうすぐ大晦日。
もうすぐお正月。
年末年始に、よく食べる食材と言えば、私は真っ先に「餅」が浮かびます。
小さい頃は、町内の人が集まって我が家でお餅つきをしたものです。
今ではほとんどの家庭に無いと思いますが、私の家には木の杵と臼がありました。
蒸らしたもち米を臼にドサッと入れ、杵でペッタンペッタンとついてお餅をつくのが年末の恒例行事でした。
できたてのお餅は本当においしくて、きな粉やら胡麻やらをつけて何個もほおばったものです。
年越しそばにも入れてもらったり、当然年始にはお雑煮を食べたり。
あとは、お汁粉にしてもらうこともありました。
あんこと一緒にぜんざいにする人もいるかもしれませんね。
ところで、あまーいぜんざいを作る時に、欠かせない調味料があります。
それが塩です。
私が10年以上愛読している雑誌「致知」には、こんな文章がありました。 

ぜんざいをつくるのには砂糖がいる。
しかし、砂糖だけでは本当にうまいぜんざいは出来ない。
砂糖の逆の塩がいる。
塩はからいから駄目だと鍋の外に放りだしていては、ぜんざいはできない。
塩を抱き込み溶かし込んだとき、初めてぜんざいは本物の味になる。

月刊『致知』

味の対比効果というのですが、対となる味、例えば甘味に対する塩味が同時に存在すると、甘みが引き立つのです。
スイカに塩をかけるのも、同じ原理からです。
これは、料理の話ですが、人生においても私は全く同じことがいえると思っています。(以下略)
=====引用ココマデ=====

 年中行事や風物詩をきっかけとして、大切なメッセージへと橋渡しをしていく方法も有効です。
 そのメッセージが響くほど、また同じ季節が巡ってきた時にそのメッセージがふと想起されることもあるからです。
 1年の中には数々の行事があり、土地所による風物詩が存在します。
 大切なメッセージを伝える際の後押しとして、そうした存在の力を借りるのもいいかもしれません。
 
 尚、「今回の記事のような企画や情報を今後も発信してほしい」という方がもしあれば、応援の意味を込めて以下の「オマケ」を購入していただけると大変嬉しいです。
 オマケでは毎回、応援して下さった方への感謝の気持ちを込めて「今回の記事に関連するプレゼント」(今回は以下の行事・風物詩・祝祭日等に関する通信素材のPDFデータ計18枚分)を返礼品として贈ります。どうぞご自由にご活用ください。(今後随時書き足していこうと思います)
・ハロウィン
・節分
・雨と日本人
・雪と日本人
・勤労感謝の日
・建国記念の日
・除夜の鐘
・五節句と縁起のいい数字
・北風と鬼

※尚、オマケの購入は予告なく終了する場合がありますのであらかじめご了承ください。あくまで本記事がメインですので、オマケは情報発信に対する応援という意味合いで使っていただければ幸いです。

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

オマケ(プレゼント付き)

ここから先は

358字

¥ 3,000

サポートして下さる皆様、いつも本当にありがとうございます。いただいたサポートは全てクリエイターとしての活動費、または発信にかかわる情報収集費等に使わせていただきます。サポートして下さった皆さんには、いずれ直接どこかでお礼をお伝えしたいと思っています。