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Gift 最期の日まで

昨年9月、89歳で父が亡くなった。

亡くなるまでの介護の時間は今まだ言葉にしようがなく、言葉にしようとすると取り留めなく、まとまりないものになってしまう。が、時間とともに確実にその実感は薄れつつある。

介護ってそういうものかもしれない。ひとつひとつの出来事は些細な、取り留めがないようなこと。その徒労感。終わりが見えない閉塞感。闘う相手は父ではない。自分の中に出てくるである。自分の中に棲むと向き合い続けなければならない。親子という距離感。親愛な情とともにお互いの中にある依存心や遠慮のなさ。側にいなければならない時間が増えるほど心の隙間にが増えて、手に負えなくなる。

自分のための時間をとって、自宅から離れたカフェでお茶をするなどしてなんとかやり過ごすようにしていた。(空間的に離れることって大事。)

8月下旬に入って状態がさらに悪くなり、終末期とされた。
介護認定の見直し、介護ベッドやもたれて歩ける歩行器のレンタル。死亡診断をしてもらうために近医に往診を依頼、自宅では無理となった時に入院させてもらうために訪問看護の開始。そのためのケア会議。バタバタな毎日が続いた。

そんななか、以前からどうしても参加したくて申し込んであった自然農の川口由一さんの乾坤塾が近づいてきた。コロナ感染の問題もあり、この時期県外に出ることは諦めるべきか。出かけている間に亡くなったらどうするのか。悔やんでも悔やみ切れないのではないか。だいいち、いない間は誰に面倒を見てもらうのか。終末期ではショートステイは受けてもらえないだろう。

悶々としていたが、諦めたくないと思った。諦めると父に対してまた小さいを生むと感じた。2番目の妹(彼女の宗教をめぐり疎遠となっていた)に訳を話し、来られる時に見にきてもらえないかと話すと彼女は「お父ちゃんと二人で過ごす時間がもらえるなんて嬉しい。」と言って、喜んで受けてくれた。3番目の妹も2番目の妹と時間調整して来てくれることになった。

出発の日、薬に日付をつけてテーブルに貼り付け、体重測定と薬の追加のあるなし、状態をメモしてもらうための連絡ノート、医師や訪問看護師の連絡先などをファイルに入れてまとめた。父に、妹たちが来てくれること、具合が悪い時に出かけることになってすまないと思っていると話すと、心細そうで何か気落ちした様子ではあったが、「気をつけて行って来いよ。」と言って、強くわたしの手を握った。

このとき辺りからだろうか、その少し前からだろうか?
それまでのしんどさも含めて、「(介護を)させてもらっている。」という感じがわたしの中に生まれ始めていた。これはGIFTだ。父からの、ではなくてもっと深い大きなものからのGIFT

若い頃に「あなたは両親の世話をする星のもとに生まれているが、両親と相性が悪い。世話をするならする、しないならしない。どちらでもいい。どちらかに決めなさい。どっちつかずが一番いけない。自分の人生が何かわからなくなる。」と言われたことがある。同じようなことを何人かに言われた。わたしは「世話をしない」と決めて、遠く離れた街に終の住処のつもりで家を買った。

海辺の街も家も大好きだったのに、ある時、好き嫌いを超えた奥に深く、抗えない流れが生まれて家を手放して実家に帰ってきた。そして GIFTを体験した。

今は基本、出会うものや人、好ましく思われない感情も、全てが GIFTだと思っている。



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