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はじめの一歩

「自然農」というものに出会ってから10年以上になる。
隔月で1泊2日で行われていた奈良の川口由一さんの学びの会に通い始めたのは、2011年の8月。東日本大震災と福島原発事故の後だった。その数年前に、新聞の記事かなんかで興味を覚えて川口さんの「妙なる畑に立ちて」という本を購入して少し読み始めてみたものの、読み進めなくてそのままになっていたのだった。

 当時は横須賀に住んでいた。8月の学びの会の後すぐに畑を探し始めた。自宅の近く、登れば海が見える山の中腹に畑を借りることができた。ちょうど通勤の途中にあったので、行き帰りに畑に寄って作業するのが楽しかった。なんと言っても海が見えるのが最高だった。
 2012年に事情で徳島の実家に帰った。実家は小さいながら農家で、いくつか田んぼがある。父は在来農法で米を作り、自宅周辺で家庭菜園をしていたが、わたしが「肥料も農薬も使わない。生えた草が肥料になる。」など話したら、周囲に田畑がない(田畑の近くは草を生やすと苦情が来る)、当時使われていなかった畑を知人に頼んで借りてくれて、(頼んではいなかったが)トラクターで耕してくれた。(これはこれで、畝作りが楽で、すぐに畑を始められてよかった面もある。)
 田んぼは、最初は自宅の裏の2畝ばかりの田んぼを使わせてもらったが、裏から在来農法の田圃の水がたくさん入ってくることと、田圃の端で父が里芋を作って肥料や農薬を使うこと、また、3月に父なりの親切心で、勝手にトラクターで耕してしまったことなどがあり思案していたところ、自然農の学びの会で知り合った方から自宅から車で10分ほどのところに、吉野川が見下ろせる高台の田んぼを借りることができた。隣ではその方も自然農の田んぼを始めたので、協力もしながら、休憩時は色々語り合いながら、希望に胸を膨らませて自然農を始めることができた。
 自宅近くに自然農で専業農家をされているOさんがおられて月1回学びの会があり、田畑の見学や言葉での学びに参加させていただくことができた。田んぼの大家さんも畑の大家さんも最初は草ぼうぼうになることもある田畑を見て驚かれていたが、いつの間にか「いつまでもしたいように使ってください。」と言ってくださるようになった。(ちなみに田んぼは1年に水道代として五千円。畑の方は賃貸料なしである。)

 こう書いてくると、本当に恵まれていることに改めて気づくことができる。

 2年前に勤めを辞めて、家族の事情や自分の体力の低下、夏の厳しい暑さなどの気候条件の変化などもあり、最初の頃の自然農に対する「熱」のようなものは失われつつある。特に田んぼは初年度の大豊作(これは前年度に使われていた方の残肥の影響が大きかったのではないかと今は思っている。)の喜びから、猪による被害やこなぎやイボ草の繁茂に対する対応、田植えに時間がかかりすぎること、田圃に水がたまらず掛け流しになること、そんな中で徐々に収穫は減っていき、昨年は種籾を取ることもできないほどに散々だった。大家さんから「離れて住んでいる子供に固定資産税や用水代を払わせるのはかわいそうだから、太陽光パネルにすることも考えているんだけどね。」という話もあって、「もう限界だろうか?もうやめたほうがいいのだろうか?」とも思った。

だけど、「もう一度黄金の実りを見たい。」という気持ちに勝てなくて、とりあえず、もう1年お借りすることをお願いし、快く了解してもらえた。

なんていうか。
不思議なことにこんなにうまくいかなくなって初めて、田畑に一人で立っている気がするのです。
この10年、見様見真似で、訳もわからず、何か「いいこと」をしているつもりだったような。
これからやっと、自分の気力、体力、自然を見る力、怠惰なところや曖昧なところ、いい加減なところそんなものと向き合いながら田畑に立つ。

田畑ってその人そのものが現れるんですよね。
今まで心に描いてきたどこか(理想)の田畑の姿とは違うものになるかもしれないけれど、わたしの田畑になっていけばいいと思う。

ここからがわたしの自然農、はじめの一歩。

#振り返り
#日記






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