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 Gift 最期の日

"生物学を学ぶとわかるのが、世界のあらゆるものが『流れている』ということなのです。私たちを構成する分子はやがて空気中に流れ出していって次には海の一部になるかもしれないし、岩の一部になるかもしれない。生物とはそうした流れの中にできた一瞬の澱みのようなものです。"  

生物学者 福岡伸一教授_botより引用

意識

2022年9月7日朝 
午前4時半。
離れから引き戸を開けて外に出ると、Tシャツ、パジャマのズボン姿の父が倒れていた。
ギョッとしたが、何回か大きい声で呼びかけると「ふあぁ」と息を吐きながら声にならない声で答えた。
コンクリの上、棒の杖を持ったまま。
後頭部を確認したが出血はない。
霧雨が降っている。
身体は冷えていた。
昨夜は立つこともままならなかったのに、どうやって外に出たのか?
母屋の裏口は鍵がかかったままだった。

叱咤激励しながら何とか起こそうとするが身体は全く動かない。
だんだん怒りが込み上げてきた。
 「何でこんなことするん?」
 「何でこんなことするん?」
 「こんなことするんだったらもう家でようみんよ!」
きつい言葉がついて出た。

 「何でこんなになったんかなになったんかなあ。」
目を閉じたままの父から拍子抜けするようなのんびりした声が出た。
涙が出た。

一人で起こすのは無理だ。
男手が必要だ。近所に従兄弟が二人いる。呼びに行こうか。だが、二軒とも真っ暗だ。年配の従兄弟は腰が悪いし、もう一人の従兄弟も闘病中だ。
2番目の妹が、「夜中でも、何かあったら家電に電話して。」と言っていたのを思い出し、2回電話してみたが出なかった。
訪問看護師さんは?
昨日来てくれた人が緊急当番だと言っていたけど、小柄な女性だったし、病状で呼ぶのなら仕方ないけれど、こんなことで呼ぶのは気の毒だ。

もう少し明るくなって、二人の従兄弟に助けを求めるまで布団をかけてこのままにしておくか?
いや。霧雨が降っているし、身体は冷えている。体温低下してそのまま死んでしまうかもしれない。
 「わたしひとりでやるしかない」
肚を決めた。
立ち上がりと裏口の引き戸までの支えに食堂の椅子を二つ持ってきて並べた。引き戸まで20㎝程と10㎝程の段差があるが、幅が狭く椅子は置けないので身体で支えるしかない。引き戸を開けて土間から台所の床までは30㎝くらいの段差。段差を上がったところに歩行器を置いてブレーキを掛けた。

「まだ真っ暗やから皆寝とるんよ。たっちゃんもとしさんも呼んで来れんやろ?わたしが起こすけん、頑張って力入れてよ。」と耳元で大きい声で伝え、両肩を掴んで力を入れてなんとか上半身を起こした。起こしても力が入らずぐらぐらしている。
「目開けて。」
「腰掛けを持って立ち上がるよ。」
椅子の座面に両手をつかせて、後ろにまわりパジャマのズボンを持ちながらお尻を引き上げようとするがなかなか上がらない。
「手、ついて。お尻あげるよ!」
父も渾身の力を入れてくれたのだろう。何とか座面に手をついてお尻を上げることができたので、そのままパジャマのズボンを持って支えて、引き戸を開けて土間まできた。どうやって3つの段差を上がらせたのか記憶がない。床に上げると力尽きたように床に手をつく形で崩れ落ちた。歩行器の、疲れた時にちょっとお尻を乗せられる小さな座面に両手を持っていき、何回かお尻を持ち上げて立たせようとしたが上がらない。「ほうて(這って)行こうか?」妙に落ち着いた口調で父が言った。「ほうて(這って)行ける?そうするで?」這う方が安全だ。しかし、四つん這いのまま全く動けない。這えない。父もここまで残った力を振り絞ってくれていたのだ。「動けんけん、これに捕まって。引っ張っていくよ。」「いち、にのさん!」掛け声とともに全身の力を入れて、両脇を持って抱え上げて何とか上半身を歩行器にもたれるかたちにして、ずり落ちてしまわないように身体を支えながら歩行器を転がしていった。

ベッドに座らせても目は閉じたまま。身体も力が入らず、後ろに布団を丸めて倒れないようにした。ベッド柵にもたれてぐたっとしていたが、経口補水液をコップに入れてストローを口に入れると勢いよく吸った。食事が取れない時に摂っていた栄養ゼリーを持たせると1パック半飲んだ。身体が汚れていて、あちこち擦り傷があったのでバケツに熱い湯を入れて服を脱がせて身体を拭いた。

拭いていると不意に、
 「あ、わたしはいつかこれがしたかったんだった。」
と感じた。父は目を閉じて言葉もなく、されるがままだった。首の後ろに熱いタオルを当てると声にならない声が漏れた。(これが、父が発した最後の声となった。)
紙パンツは濡れていなかった。昨日昼に少量出て以降、尿が出ていない。
最後にバケツに片足ずつ入れて足を洗った。10日前にデイサービスでお風呂に入れてもらってから入浴していない。足の指や指の間からボロボロ垢が出た。

足を洗いながら
「これがしたかったんだ。」
「今、させてもらっている。」

心の中で繰り返していた。

ベッドを整えて、両足を抱えて上げながらお尻を軸にして身体を回して臥床させた。酸素マスクをつけても反応はなかった。呼吸が少しでも楽になるように90度近くまでベッドの背もたれを上げた。血圧140/83mmHg。脈は71回/分。呼吸数28回/分。息を吸う時に下顎が上がり、吐く時に下顎が下がる下顎呼吸になっていた。

どこから外に出たのか気になっていたが、北側の障子を開けてみると、掃き出し窓が開いていた。後日測ってみたら、掃き出し窓から外の地面までは60㎝あった。前日夕はガクガク膝折れして歩くことができず、歩行器にもたれて支えてやっと食堂と寝室を移動した。手すりもないのにどうやって外に降りたのだろう。外に降りてから障子を閉めたというのも本当に不思議なことだ。ここの障子は建て付けが悪くて、普段でも開け閉めが大変なのだ。昨日は一時意識が朦朧として「玄関にカメラマンがおって、写真を撮りよる。そんな権利はないはずじゃ!」と現実にはないことを言って興奮していた。夜中に幻覚妄想が出て外に出たのだろうか。

時計を見ると7時45分。
今日は総合病院循環器科の定期受診予定で、診察がスムーズに進むように、訪問看護師さんが8時半に採血に来てくれることになっていた。離れの部屋に戻って着替えて、牛乳を温めて飲んだ。

昏睡


訪問看護師さんが来て血圧や脈などの測定、採血をしてくれた。反応はなく、呼吸も同じだった。内服薬が今朝で無くなったことを話すと、「肺にかなり水が溜まっているので、娘さんが受診して薬をもらってきたほうが良い。その間、できれば誰かにそばにいてもらった方が良い。」と言われた。3番目の妹は仕事なので、2番目の妹に電話を入れると、「今膀胱炎のために病院に来ているが、終わり次第に行く。11時ごろには行けると思う。」ということだったのでお願いして、受診予約に間に合うように父を残して家を出た。

診察待ちの間に妹から「実家に着いた。」「お父ちゃん、反応ないけど、これって寝ているんじゃなくて昏睡?」とラインが来た。
診察の順番が来て担当のY先生に状態を説明すると、先生は穏やかに、淡々と
 「もう薬は飲ませなくていいよ。無理して水も飲ませなくていい。」
 「川を渡ろうとしている人を呼び止めても元の場所には戻れない。その辺りを
  うろうろするだけですよ。」

と言われた。

「訪問看護師さんから、『入院していたらモルヒネを使って苦しみを和らげる処置を受けているくらいに苦しい状態です。』と言われました。何かできることはありませんか?」と問うと
 「今はもう自然のモルヒネが出ていると思います。側で見ているほど本人は
 苦しみを感じていないと思いますよ。」

と言われた。
 「以前も話したと思いますが、4月の時点で心臓の状態はリミットが来ていま
 した。本人希望の田植えができただけでも御の字ではないですか?お父さんの
 場合は若い頃から仕事で鍛えていたんでしょうねぇ。手足の筋肉に心臓が助け
 られた。お父さん、本望じゃないですか?病院じゃなくて自宅で。入院して
 いたら安静守れずに拘束されて訳わかんなくなってたと思いますよ。」

そんなことを話された。

息切れがひどく苦しそうに見えても、聞くと「せこうない(苦しくない)。」と答える父であったが、半年の間に3回「ちょっとせこい(苦しい)。」と答えたことがあった。
2日前にも息苦しくて横になれず、息が上がり、「ちょっとせこい(苦しい)。」と自分から言った。「病気そのものを治すことは難しいと思うけど、病院に行ったら、先生がもう少し楽になるように考えてくれるかも知れんよ。入院になるかも知れんけど、今から病院に行ってみる?先生からはいつでも来てって言われてるんよ。」と話すと、下を向いてしばらく黙っていたが、
 「いや、家におる。」
と掠れるような声で言った。「せこうても(苦しくても)、家におるのがええんで?」と確認すると黙って頷いた。

8月に入って一時血圧が80台に下がったことがあり、もし、見に行ったら息がなかった、というときはどうしたらいいかY医師と相談し、近所の元かかりつけ医にお願いして、往診に入ってもらうことになった。「薬の微妙な調整に関しては今まで通り(総合病院のY医師がする)。また、急激な変化があったときは病院に救急搬送すれば受け付けるけど、それは入院するということだからね。この人(父)はそれは望んでいないよね。お父さん、今、自分の生き様を見せているんですよ。」と言われた。
それでも、自宅で最期を迎えることを望んでいても、苦しさが耐えがたくなり、病院に行けば楽になるのではないかと思って、最後の最後で入院を希望する人もいるそうで、両方の選択肢を残しておけるように、かかりつけ医の指示で(Y先生の意向もあったようだ。)総合病院の訪問看護が入ることになった。はじめは「家にこれ以上人が来るのはしんどい。自分は元看護師だし、ある程度のことはできるのに。」と思っていたが、病状が重くなり最期が近くなると訪問看護師が来てくれるのは心強く、ありがたかった。

その日は特別に会計が混んでいて長い列ができていた。担当の人は一人で列はなかなか進まず、しばらく並んでいたが痺れを切らし、途中で事情を話したら後日精算で良いと言われ、途中で妹の分と二人分のおにぎりを買って自宅に戻った。

時間は未定だが、午後から訪問看護師が来ることになっていた。ちょうどおにぎりを食べ終わったところに訪問看護師が二人来た。今日の当番という若い看護師さんがやたらとハイテンションで「お父さん、お父さん」と呼びかけながらずっと大きい声で喋っていた。もう一人の年配の看護師は指導役のようだった。二人で手早くバイタルサインの測定し、身体を拭いて、また着替えをしてくれた。
 血圧81/62  脈75(整) 体温36.2 血中酸素濃度91〜83% 努力呼吸22回
連携ノートより)
 

川を渡るとき  


訪問看護師が帰ってからしばらくして、仕事を終えた3番目の妹がやって来た。昨日も様子を見に来ていたので、何日か休めるように仕事の整理をしていたらしい。しばらくして「なんか気になって。仕事で近くまで来たから寄ってみた。」とその妹の夫もやってきた。

二人に改めて今朝からの経緯を話しているうちに、畳に座って父を眺めていた2番目の妹が「ベッドが高すぎて息しよるかどうかが見えん。」と言った。「看護師さんがベッドを上げてそのままやな。」と、リモコンで下げようとしたが、全く動かない。取扱説明書を持ってきてみたがわからない。あれこれ皆でやっているうちに頭の方だけが下がり始め、大きい音でアラームが鳴り始めたので慌てて元に戻した。時計を見ると5時をすぎていた。誰かが「高いままでもいいか。」と言ったが、どうしても気になって、福祉用具の会社に電話してみた。担当の人が不在なので、連絡を取り、あらためて電話をくれることになった。しばらくして電話が来て、状況を話すと「利用者様に一旦ベッドから降りていただくことはできますか?」
「無理です。無理です。」
スマホのスピーカーをオンにして皆で聴いている。
「無理ですか….。」「リモコンのロックは外していますか?」
「はい、外しています。」
「そのまま、一旦ベッドの高さを一番下まで下げてください。」
「下がらないんです。反応しないんです。」
「それでは、リモコンの頭の方の下がるボタンと足の方の下がるボタンを同時に押してみてください。」
「さっきやってみたんです。頭の方だけが下がって、足の方が下がらなくてアラームが鳴るんです。」
「傾いてアラームが鳴ってもそのまま下がるところまで下げてください。」
大きい音でアラーム音が響くなか、ベッドの頭の方だけが下がっていき、皆悲鳴を上げた。
「頭の方だけがどんどん下がっていきます!」
「そのまま両方のボタンを押し続けてください。」
そのまま押していると、頭の方が下がり切ったところで足の方が下がり始めた。
「足の方が下がり始めました!」
「下がり切るまでそのまま押していてください。」
頭も足も下がり切って、畳から15cmくらいの高さになった。

父は短期間の入院中以外は畳に布団を敷いて寝る生活だったし、つい最近までベッドを勧めても「布団がいい。」と言っていたので、ベッドに慣れずに降りようとしたり、落ちたりすることがあるかも知れないと担当ケアマネージャーが一番低くまで下がるベッドを勧めてくれたのだった。

両方が下がり切るとアラームが止まった。
「さっきまで自動的に危険回避のロックがかかっていたんですが、これで解除されました。上げ下げしてみてください。」さっきは反応しなかった「高さボタン」を上げ下げすると難なく上がったり下がったりした。
「大丈夫です!上がったり下がったり普通にできます!」
「ありがとうございました!」
「また何かありましたら、いつでもご連絡ください。」

「これくらいでいいで?」と確認しながらベッドの高さを調整していると、
「あれ?息しよるで?」と2番目の妹が声を上げた。
ギョッとして父を見た。
しばらく動きがなかったが、皆で息を呑んで見つめていると小さく顎が上がった。
「父ちゃん!父ちゃん!」
3番目の妹が大きい声で呼んだ。
Y先生の「川を渡ろうとしている人を呼び止めても元には戻れない。」という言葉を聞いていた妹が、3番目の妹が呼ぶのを止めようとしてわたしの方を見たが、止めなくていいよ、と素振りで伝えた。

17時52分。
呼吸が戻らないことを確かめて、往診医に電話した。

なぜ、ベッドの自動ロックがかかったのかはわからない。
だけど、わたしは父が此方の世界から彼方の世界へと川を渡るためには必要な時間だったのだと感じている。わたし、2番目の妹、3番目の妹とその夫、そこに居た皆がベッドに夢中になって、父から意識が逸れた。その隙間に、父は意を決して、懐かしいこの世から我が身を引き離し、私たちに背を向けて川を渡ったのだと信じている。


















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