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それを頼りに

こんにちは はんちゃん(@hanahana211bump)です
ここに載せるのは過去の自分です。
私も一緒に作った作品がある。【それを頼りに】という作品です。
これはある創作ダンスをみて一緒に踊りたいという感情剥き出しのまま飛び込んだお話しです。

今、書きたいと思った理由があります。
作品を作ったことで私の行動があるがままそこにはありました。
スケールは大きくないです。だけど向かいたいという感情は強く残って今も思い出として残っています。その場所で会えた人たちも凄さと温かさを感じながら、一人ぼっちでも進んでいた。



はじまりは

コロナの時代にどうして何もできずに終わる人生が嫌でした。
自分が生きているのに息苦しさを感じていました。

もっとたくさん出来ることがあるのに、どうして外へいけないのかわからなかったです。インドアもアウトドアもどちらも好きでした。それは今の変わりないことです。

何もできない環境に嫌気がさしていました。
自分の命をヒシヒシと感じていました。

そんな毎日を感じながら、なぜか何かを作りたいと思い始める自分自身。
過去に家族や友達がくれた言葉を思い出していました。

実家のお家の中ではよく好きな歌を歌っていました。
親に「うるさい」と言われることもあれば、「本当に音楽好きだね」と言われていました。

本当によく鼻歌を気づいたらしてるのは今でも相変わらずです。

小学生の時、何がやりたいのか、何をしたらいいか、わからなかったけど、友達の教えてくれたダンスに無我夢中になって熱中していたことを思い出しました。

踊っている時の私は、周りから「嬉しそう!!」と言われて調子にのり毎日楽しく踊っていました。

中学生の時の先輩からの「楽しく踊るね」と言われていました。

この過去の自分からメッセージがどうしても消えなくなり、タイミングも合間ってダンス動画を見始めました。

その時にある人がインスタグラムで載せていた動画がとても良くて、「一緒に踊りたい!!」という気持ちになりました。

体験から

まずは自分のダンスのレベルがどれくらいなのかを体験レッスンからでした。

身体は元々柔らかいので特に問題はなかったのですが、今までダンスをしてこなかった自分の十数年間を恨むところから始まりました。
全然できなかった」というのが本音です!

体験を受けた時に、先生から「踊れるよ」という一言で火かついた私です。
どうしてもあの曲で先生の振りで覚えたいという一心で向かいました。

毎日通う努力

初心者向けのダンスレッスンから始まりました。
週1で通い始め、もう一つ増やし、2カ所で習い事を始めました。

フリを覚えることには、今までは自信があったのですが、年齢と共に覚えることが難しくなりました。

今のところ、なんだっけ?」よりも教えることが多かった方でした。
だけど、覚えられない私です。あの時、何回動画を見たんだろうって自分の年齢を恨みました。

毎日、週1回でも通うことには意味がありました。昨日出来なかった事は毎日練習するだけで上手くなる自分になります。

自分ではわからない時には先生から「この期間で上手になったね!」と言われているのも覚えています。

まだまだ納得できない日々にもがいていました。

発表会へ向けてのダンス

発表会へ向けてダンスのリハーサルが始まりました。

サビの素敵なフリもまともに踊れない私です。
周りはずっと前からダンスしてきた人たちの中に一人ポツンとしていました。

その時の思いは、この人たちのように軽やかに踊ることを目指していました。絶対「サビを完璧に踊る」と意気込んでいました。

意気込みと同時に私は「本当に出来るかな?」と不安になっていたことも事実です。リハの前には必ず練習して、泣いていました。

目標が大きいと不安も同じくらい大きくなる事を知りました。

必ずリハ中は笑っていたいし、観にきてもらいたい友達の事を思って一生懸命でした。

私の本音は「だってずっとやりたかったんだもん」でした。

諦めない

何度か諦めたら」という言葉が出ました。
すぐに振りを覚え、進んでいく人たちをみると悲しくなりました。
このままで大丈夫かな?」って必死になる自分自身です。

悲しくなると同時にもっと上手くなろうっていう気持ちもあります。
同じくらいの感情が私には湧いていました。

ダンスを教えてくれる先生と仲間がそこにはいました。

何度も向き合ってくれた人たちの時間に感謝しながら進みました!

諦めない」、「やりたい」という思いはいつもそばにありました。
やれるだけの事は絶対やるんだ!どんな形になっても最後まで走り切りろうとしていた私です。

この時、浮かんでいたワードは有名なバスケマンガの
諦めたらそこで試合終了ですよ?」でした。

何度も向き合った

そんな自分に何度も向き合いました。
向き合って、助けてもらって、だんだんと形になっていく一つの物語です。

最後の先生からのメッセージを受け取り、曲の歌詞を読み込みました。
大好きだった歌詞と曲だから余計にそのメッセージに涙が溢れました。

ここにいるんだよ ちゃんと ずっと」に背中を押されなが聞きました。
1年にこの音楽を何回聴いたのか、わからないくらいです。
CDだったらもう絶対に壊していたと思います。

この時ほど、自分の命の奥にある灯火を燃やしいたって感じがします!
あの時に自分が経験して体験して培ったものが今の自分に元気をくれます。
大丈夫だよ」と常に言ってくれる。

本番

全てのリハを走り終えていざ本番。
この曲でダンスできる時間は「あと3回、あと2回…」と周りの人たちが話しているんです。

そこにはみんなの厚い思いが重なり合う瞬間です。

いつだって、みんなで形を作っていました。
踊る方だって感動があるよね。この作品を踊ることはなくなるけど映像に残ることで何かはあると今も思ってる。

踊るって楽しいよね!幸せだよね!

踊る人たちの意味はそこにはあった。私も頑張ったけど、その場一人ひとりが作品を作ろうと頑張った証拠がそこにはありました。

本当の最後【1回】になった時、踊る前なのに泣いている人がいました。
泣いてしまうよね。

そこに集まった人たちは一生同じように集まらないし、
何かに呼ばれてここにきたわけがあって、
今も心に響いてます。

そんな作品です。
そしてなぜかわからないけど、今ここに私は残しておきたい。
手放すことで次に迎える印としてここにおきたい。

20代最後を前にして作った作品です。
色んな人に見てもらえたら嬉しいです!

先生が
歌の素晴らしさにぐんぐん背中を押してもらって創った」と言っていた。

観にきてくれた友達が、感動して涙を流してくれて本当に嬉しかった

動画を送ると「めっちゃいいね」という友達もいたから誰かに見て欲しいです!!

何かを受け取ってくれたら嬉しいな。
明日に繋げていきたい!!

ここまで読んでくれてありがとうございました!!

Taeko Matsumoto 松本多映子 on Instagram: "2021.12.12 hopestage vol.7 松本多映子ナンバー 「それを頼りに、」 🎼Flare/BUMP OF CHICKEN @bumpofchickenofficial 2021年の頭につくったコンビネーションから、1年あっためて、 ここに注ぎました。 間違いなくこの作品を頼りに これからも生きて行けるなって思えるくらい 素敵なみんなとの時間でした。 創り終わりたくなかったなぁぁ、 みんなに出会えたこと。 hopestageってやっぱり、とくべつ。なんだよなぁ! 🎥 @arude_inc 🔦 @dort_lighting 💻 @hopestage_mt14 @studio_dance_visions #lylicaljazz #jazzlyrical #choreographer #choreography #振付 #choreo #松本多映子 #jazzdance #dancevideo #dance #bumpofchicken #flare" 70 likes, 0 comments - taeko1129 on April 11, 2022: "2021.12. www.instagram.com




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