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日本人よ、ありがとう

■大東亜戦争に立ち上がった日本へ

●ラジャー・ダト・ノンチック (マレーシア、元上院議員)
「日本人よありがとう」
みずからもひもじい時に 配給のわずかなパンを
持ってきてくれた乙女ら ああ日本は美しかった
真白き富士の気高さと 歌う黒髪瞳清らか
空襲のサイレン鳴れば 真っ先に僕らを壕に
案内してくれた若者 日本人はひたむきだった
アジアのためのたたかいに 力尽くして彼等は散った
戦いに敗れた後の 生きるすべあてない街で
励ましてくれた友らよ 日本人は親切だった
独立のため生き抜けと 握り合う手に涙こぼれた
あの頃は苦しかったが アジアには平和が訪れ 民はみな祖国を持った 
ああ日本の若人たちよ こころを継いであたたかく 共に栄える明日に進もう
ああ日本の若き友らよ こころとこころ結び合い 豊かなアジア共に築こう
タキン・コード・マイン (ビルマ、タキン党指導者・詩人)
私の人生で今日ほど幸せだったことはなかった。
わが国土から英国が追放され、偉大な日本がアジア民族を解放してくれた。
我々の古代の遺産と国土、文化、宗教を取り戻してくれた。
私は死ぬ前にこの幸せな日を送ることができた喜びに泣いた
●ハムダン・シェイク・タヒール (マレーシア、元ペナン州元首)
マレーシアが日本の占領下となった昭和17年(1942年)半ば、
私は、生涯の友となる多くの日本人教師と出会いました。
彼らの大半は民間人で、大変な教養人でした。
当時、私は21歳と若く、彼らの教育に対する姿勢や、日本の文化などについて、多くのことを吸収することが出来ました。
教育について実に多くのことを学びました。
大切なものであることを気付かせてくれました。
私達は、身分や職業が何であれ、努力を怠らず、一生懸命働けば、国の発展に貢献できるということを学んだのです。
この時期の経験は私の教育理念や人生観に最も強い影響を与えました。
●グラバイ・デサイ (インド、弁護士会会長.法学博士)
~1946年 デリーの軍事裁判に参考人として召還されたF機関長藤原岩市に対する挨拶~
このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。
しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。
殊に優秀な貴国国民においておやである。
私は日本が極めて近い将来に、必ず、アジアの大国として、再び復興繁栄することを信じて疑わない。
インドは程なく独立する。
その独立の契機を与えたのは日本である。
インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。
これはインドだけではなく、インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。
インド四億の国民は深くこれを銘記している。
インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。
他の東亜諸民族も同様と信ずる。
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●ラダ・ビノード・パール (インド、裁判官、極東国際軍事裁判判事)
広島、長崎に投下された原爆の口実は何であったか。
日本は投下される何の理由があったか。
当時すでに日本はソ連を通じて降伏の意思表示していたではないか。
それにもかかわらず、この残虐な爆弾を《実験》として広島に投下した。
同じ白人同士のドイツにではなくて日本にである。
そこに人種的偏見はなかったか。
しかもこの惨劇については、いまだ彼らの口から懺悔の言葉を聞いていない。
彼らの手はまだ清められていない。
こんな状態でどうして彼らと平和を語ることができるか
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●『過ちは繰り返しませぬから』 についてパール判事
激動し 変転する歴史の流れの中に
道一筋につらなる幾多の人達が
万斛の想いを抱いて死んでいった
しかし大地深く打ちこまれた悲願は消えない
抑圧されたアジア解放のため
その厳粛なる誓いにいのち捧げた魂の上に幸あれ
ああ 真理よ
あなたは我が心の中にある
その啓示に従って われは進む
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●ムアンマル・アル=カダフィー (リビア、軍人、革命家、政治家)
これまで日本人を困らせたくないので、話すことを避けてきたが、原爆を落とした米国に日本人がなぜ好意を持てるのか理解できない。
欧米諸国と違い、日本はアフリカ大陸で植民地政策や侵略行為をしなかった。
国連で日本は、米国に追随してばかりいる。もっと自由な意思を持たないといけない。
祖父などを殺した国となぜ仲良くなれるのか。
日本はアジアの近隣諸国との友好、信頼関係を重視すべきだ。
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●R・H・M・ハッサン・ラハヤ (インドネシア、国会議員・南方特別留学生)
大きな目で見て、アジアの、大東亜戦争の解放は日本が白人に対して戦ったから成し得たのだと思います。
日本人が大東亜戦争をやらなければ、アジアの様々な国が今日のように独立してはいなかったでしょう。
日本軍は、アジアの白人の勢力を追い払い、自分たちはとても白人には敵わないと諦めていたアジアの民族に大きな感動と自らに対する自信とを与えてくれました。
ですから、タイやフィリピン、その他の国もみな日本に対して大変感謝しております。
それぞれの国を指導している人たちはその事実をよく分かっています。
今の若い人たちにはそのことが分からないかもしれません。
彼らは考え方が違うかもしれませんが、しかし、何と言おうとそれは事実です。
日本は、歴史に残ることをしてくれました。
その歴史を、我々がねじまげることなど出来はしません。----- ----- ----- -----
●朴鉄柱 (韓国、韓日文化研究所)
「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。
それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。
日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。
それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。
日露戦争と大東亜戦争―
この二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。
この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。
大東亜戦争で日本は敗れたというが敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。
日本こそ勝ったのであり、
日本の戦争こそ ≪聖なる戦争≫ であった。
ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものは直ぐに回復できたではないか。
二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。

●インドネシア モハメッド・ナチール(元首相)
アジアの希望は、植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を 日本が代表して敢行したものです。
大東亜戦争というものは本来なら私たちインドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だったと思います。
もしあの時、私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。
大東亜戦争はそういう戦いだったんです。
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●インドネシア ブン・トモ(元情報相)
日本軍が米・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
我々は白人の弱体と醜態ぶりを見てアジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。
●ビルマ初代首相 バー・モウ
「特攻は世界の戦史に見られない愛国心の発露であった。
今後数千年の長期に亘って語り継がれるに違いない」
「我々を白人支配から救い出してくれたのは日本だった。
我々は(略)その恩は忘れない」
「日本ほどアジアに貢献した国はない。日本ほど誤解を受けている国はいない」
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●G・シャフエー(マレーシア外相)
「何故 日本が謝るのでしょうか?
あの大戦でマレーシア人と同じ小さな体の日本人が、大きな体のイギリス人を追い払ってくれたではないですか?
日本なくして東南アジアの独立はありませんでした。
この日本が払った尊い犠牲を否定することはバックミラーばかり見ているようなものです。
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●シャルル・ドゴール(仏)
シンガポール陥落は白人植民地主義の歴史に終焉をもたらした。
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●ラジャ・ダド・ノンチック(上院議員)
我々は日本軍を歓呼で迎えた。
日本は将来の我々の独立のために多くのものをもたらしてくれた。
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●GHQ参謀部長 C.ウィロビー
東京裁判は史上最悪の偽善だ。
もし米国が同じ立場だったら日本と同じように戦っただろう
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●歴史家 A・トインビー(英国)
第二次世界大戦において、日本人は日本のためよりむしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大な歴史を残した。
それらの国々とは日本の掲げた短命な理想、大東亜共栄件に含まれた国々である。
日本人が歴史に残した最大の業績は、世界を支配していた西洋人が「不敗の神」ではない事を示した点である。
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●中華民国顧問 O・ラティモア
日本が立派にやり遂げた事は、欧米の植民地帝国を完全に破壊した事である。
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●社会学者 H・ミアーズ女史(米)
(著書にて)東京裁判は正義ではなく、明らかなリンチだ。
私たちアメリカがどうして日本を罰する事ができるのか?私は理解できない。
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●ネール 初代インド首相
彼ら(日本)は謝罪を必要とすることなど我々にはしていない。
それ故、インドはサンフランシスコ講和会議には参加しない。講和条約にも調印しない。
(52年日印平和条約締結)
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●デサイ(インド 弁護士会会長)
インドの独立は日本のお蔭で30年早まった。
この恩は忘れてはならない。
<マレーシア・シンガポールの独立>
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●Z・アビディーン(歴史家)
日本軍政はマレー人に独立の種を撒き成長させた。
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●ゴー・チョクトン首相(シンガポール)
日本の統治は過酷なものだった、しかし日本軍により欧米のアジア支配は粉砕された。
これはアジアに自信を与えた。
大戦後、15年以内にアジアの植民地は全て解放された。
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ビルマ
●バ・モウ(初代ビルマ首相)
真の独立記念日は1948年1月4日ではない 1943年8月3日だ。
独立の真の理解者は東條大将と大日本帝国だった
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●M・ハッタ(スカルノに並ぶ独立の父)
資源の宝庫であるインドネシアは疲弊した宗主国オランダにとってどうしても手放せない植民地だった
(中略・・・その後独立)
(オランダは独立の)腹いせに多額の債務をインドネシアに要求した。
これを戦時賠償の形で肩代わりしたのが日本だった。
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●サンパス復員軍人相
戦争が終わった後、多くの日本人が帰らずに我々と戦ってくれた。
国軍基地に祀り勲章を贈った。
しかしそれだけでは足りないものを彼らは我々に与えてくれた。
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●アラムシャ陸軍大将
日本にはあと5年頑張って欲しかった。
そうすれば中東とアフリカはもっと早く 独立できたはずだ。
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●ナセール第二代エジプト大統領(第三次中東戦争惨敗後)
アジアには日本がいた
アラブには日本がいない
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●ブン・トモ インドネシア元情報相
あの戦争は我々の戦争であり我々がやらなければならなかった。
それなのに、全て日本に背負わせ 日本を滅亡寸前まで追い込んでしまった。
申し訳ない。
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●イギリス:歴史家 H・G・ウェルズ
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種の平等をもたらし、世界連邦の基礎を築いた」
戦後の日本人は、戦いに敗れたとはいえ、西欧の植民地支配を崩壊させて世界史の流れを大きく変えたという誇りが全く欠けている。
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●フランス:ポール・クローデル(劇作家・詩人)大正10年~昭和2年 日本駐在仏大使
「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族がある。
それは日本人だ。
あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族は他にはない。(略)
どの民族もこれだけ急な発展をするだけの資格はない。
しかし、日本にはその資格があるのだ。」
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●ビル・トッテン氏(米国の経済学者・実業家)
「大東亜戦争によってアジアのみならず、アフリカ諸国までようやく独立した。
世界史の大転換であり、いくら評価しても、し過ぎることはない。
その中でまだ独立していない国が一つだけ残っている。
その未独立の国は、外国製の憲法を今もありがたがっている。
隣国から教科書の書き直しを要求されたら、オタオタしながら従っている。
日本人にとって最も神聖な靖国神社だが、
首相が参るべきかどうかをめぐって、内輪喧嘩をしている。
第一、国家の総力を挙げて戦った自国の戦争に『侵略』のラベルを貼り、
それを首相談話に盛り込み、教科書にまで書き連ねている。
こんな国が世界のどこにあるか。」
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●ビルマ外相 ウー・ヌー 1943年8月1日 独立時の演説より
「歴史は、高い理想主義と、目的の高潔さに動かされた ある国が、抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ、
生命と財産を犠牲にした例をひとつくらい見るべきだ。
そして日本は、人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える」
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●マレーシア4代目首相 マハティール・ビン・モハマド
1992年香港の「ワールド エコノミック フォーラム」にて(『罠に嵌った日本史』黄文雄 著 日本文芸社より)
「日本人の戦争責任を問うならば、それより以前、非人間的な支配と収奪を続けた欧米の宗主国の責任はどうなるのか。
日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた。」
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アメリカ コロラド大学歴史学部教授 ジョイス・C・レブラ女史
(著書「東南アジアの解放と日本の遺産」秀英書房より)
「大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、
各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。
その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。」
「日本の敗戦、それは勿論東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた(中略)
民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地復帰に対抗した。」
「(中略)東南アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身に着け、独立を求める牢固たる意志に支えられていた」
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●タイ国王元副首相、元外相、タナット・コーマン(航空自衛隊連合幹部会機関誌「翼」平成7年新秋号)より
「あの戦争によって、世界のいたるところで植民地支配が打破されました。
そしてこれは、日本が勇戦してくれたお蔭です。
新しい独立国が、多くの火の中から不死鳥のように姿を現しました。
誰に感謝を捧げるべきかは、あまりにも明白です」
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●インド独立運動指導者 ヘランボ・ラル・グブダ
(『世界が裁く東京裁判―85人の外国人識者が語る連合国批判』終戦五十周年国民委員会より)
「東京裁判は、二十一世紀に入れば必ず多くの亜細亜の国々によって見直されるであろう。
そして第二回東京裁判が実現する。
その頃は亜細亜も世界も良識を取り戻して、総てが公正にして真理の法の前に平等に裁かれる」
「この時こそ東亜積年の侵略者であった欧米列強の指導者たちはこぞって重刑に処せられ、かつて重罪を被った日本人就中(なかんずく)A級戦犯の七柱は一転して全亜細亜の救世主となり、神として祀られる日が来るであろう。
またそのようになるべきである」
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●アブドル・ハリス・ナスチオン
      インドネシア元国防軍参謀総長

独立できた要素の第一は
日本軍が植民地政治体制を粉砕したことです。
第二は、日本軍の猛烈な軍事訓練です。
日本軍は大変立派なことをしてくれました。
日本は歴史に残ることをしてくれました。
誰も変えることのできない真実です。
(名越二荒之助「世界から見た大東亜戦争」より)
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アイヴァン・モリス(フランスの日本史家)
「神風特攻隊達の心の中には敵への憎悪、復讐心は殆ど無かった。
彼等は、外国がもたらす汚れから
日本の清らかな土地を護るため
また家族を防衛する為
生命を捧げる義務があると、遺書に書き遺している。
彼等の遺書からは、敵兵に対する憎悪や
西洋人への人種的敵意が出てこない。
寧ろ、誕生してからこれまでに与えられた数々の恩に
報いなければという、責任感や「報恩」の決意が前面に顕れている。」
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ビルマ初代首相のバー・モウ
「特攻隊は世界の戦史に見られない愛国心の発露であった。
今後数千年の長期にわたって語り継がれるに違いない」
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●ミニッツ海軍元元師(米太平洋艦隊司令官)
「沖縄作戦で我が海軍が被った損害は
戦争中のどの海戦よりも、遥かに大きかった。
沈没30隻、損傷300隻以上、
9千人以上が死亡・行方不明または負傷した。
その大損害は、主として日本の航空攻撃
特に特攻攻撃によるものであった。
我々は予め日本空軍は手強いという事は知っていたが
こんなにやるとは思わなかった。
我々は「カミカゼ」がかくも多数の人員を殺傷し
多数の艦船を破壊しつつある事を
日本軍に認めさせることが許せなかった。
それ故、我々はそこに留まって
これを受けなければならなかった。
日本が失った飛行機の12%で
米損傷艦艇の約77%
米海軍人員の死傷者中約80%をやっつけた事になる。
素晴らしい戦果と言えよう
もし神風攻撃がなかったらアメリカの空母は自由に
日本本土の基地や工場を破壊することが出来た筈である。」
日本を慕った国旗たち


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