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おかっぱとボブの旅とごはんの話。2

いとしのシャンパンマッコリ。

韓国への旅のチケットを取るとき、いつも頭に浮かんでくる、とあるお酒がある。

福順都家(ポクスントガ)ソンマッコリ」という生マッコリだ。

シュワシュワと滑らかな微発泡で、ちょうどいい酸味のあの味の一口目を想像して旅の前からにやにやしてしまう。このマッコリを知るまでの自分は、日本酒もワインもウイスキーも聞きかじった知識を必死に頭の中で組み合わせて「ピート臭が強めだけど飲みやすい」なんてわかったような口をききながらお酒がおいしいふりをしていただけかもしれない。

ほんとうに好きなお酒を見つけると、ほかのどんな種類のお酒を飲むときも自分の「好き」の軸ができているから、どんどん楽しくなる。

「福順都家」と出会ったきっかけは、フラワーアーティストの平井かずみさんが書かれた『ソウル案内 韓国のいいものを探して』という、1冊の本だった。数年ぶりに韓国へ行くことになったある年に、この本を片手にソウルへむかった。

気になるお店がいくつも載っていて、行きたい場所に付箋をぴっぴと貼っていく。その中で、「ききマッコリ」というなんとも心踊るフレーズを目にしてここには必ず行ってみよう、と心に決めていた。

南山タワーの麓にある解放村(ヘバンチョン)は米軍基地が近いこともありさまざまな国の人たちが行き交う、傾斜の急な坂の町だ。
ノクサッピョン駅から北へむかってしばらく進んでいくと、坂の中腹に「大きな杯でお酒を飲む」という意味の『タモトリ』が見えてくる。韓国全土から集められた個性的なマッコリを飲むことができるお店。

わくわくしながら、まず「ききマッコリ」のセットを注文。5種類のマッコリを少しずつ試す。(少しといっても5杯飲んだら、かなり満足してしまうのだけれど)黒米のマッコリや、レンゲの花の香りのするマッコリに続いて「福順都家」の生マッコリをひとくち。シャンパンのようなきめ細やかな泡と、ちょうどいいバランスの酸味と甘みに目がパーンと見開く。今までに出会ったことのない味で、一気に虜になった。

そしてこのお酒。1本空けてもまったく悪酔いせず、翌日は頭もスッキリ。こころなしか、お肌もぷるぷると調子がいいのだ。

友人がソウルに行くと聞けば、必ず『タモトリ』をお勧めのお店としてピックアップ。「ききマッコリ」を楽しんだあと、豚カルビとニラのサラダをつまみに頼んで「福順都家ソンマッコリ」を1本注文すること。ふんわり気持ちよく酔わせてくれるマッコリをゆっくり味わってね、と書き添えた。

最近は、ソウルの西村(ソチョン)にある「西村車庫」というアンテナショップで福順都家のマッコリを購入することができるのだけれど、チャンスがあったらいつか蔚山(ウルサン)にある工房に行ってみたいと思っていた。

おかっぱキヨコとの次の旅が決まった時、格安のチケットを調べていたら、釜山でトランジットをしてからソウルへ、というなんとも魅力的なチケットを発見。釜山から工房のある蔚山まではバスで1時間ほど。トランジットの時間はちょうど3時間ある。うまくバスのタイミングがあえば、1時間弱は工房を見ることができる。

ちょっと強行のスケジュールでも「いいよ!」と言ってくれるフットワークの軽いキヨコのおかげで、その旅は、釜山経由でソウルにむかうことになった。

そこからタクシーに乗り換えて「福順都家」の工房の住所を告げる。
「このマッコリが韓国で一番おいしいと思っているんです」と運転手さんに伝えると、「僕は蔚山でずっとタクシーの運転手をしているけれど、ここには行ったことがないなぁ」と言いながら、ピピっとナビを設定してくれた。

トランジットは3時間。釜山の空港を出発してから、すでに1時間15分が経過していた。

少しそわそわしながら移動をしている途中、初めて見る蔚山の街並みにシャッターをきっていたおかっぱキヨコが「あー!あの市場めちゃくちゃ気になるなー。」とつぶやいた。(おかっぱはよく心の声がもれます。)外を見てみるとカラフルな長靴が並んだ露店があって、小さいけれど、雰囲気のいい市場が立っていた。

帰りに時間があったら寄ってみようかと話しながら、運転手さんには工房へ急いでもらった。

20分ほどして、見覚えのある文字が見えてくる。書体のかっこいい「福順都家」と書かれた鉄製の看板がわたしたちを出迎えてくれた。「ついにここに来れたー!」と急いた気持ちをおさえながらタクシーを降り、運転手さんに帰りも乗車をさせてもらいたいので、ここで少し待っていてもらえないか、とお願いをして小走りで建物の中にむかった。

右手には工房、左手にはマッコリを購入できるショップが併設されている。
あぁ、なんてセンスがいいんだ。

アンニョンハセヨ、と小さな声で言いながらショップに入っていくと、真っ白でツルツルの肌の、凛とした女性スタッフの方が出迎えてくれた。

長いテーブルの真ん中に案内してもらい、二人でちょこんと着席をすると、おつまみのピーナッツが運ばれてくる。大きめの青磁のおちょこもふたつ。そこに試飲用のマッコリがなみなみと注がれる。わくわくが止まらず落ち着きのない旅人の様子に小さく笑って、まだ半分ほどマッコリが残っているボトルをそのままテーブルに置き、どうぞごゆっくりと、女性は席を離れた。

おちょこを口元に近づける。米ぬかのような香りがまずプンとくる。(嫌な香りではないのです)。炊きたてのごはんの「いい」匂いをかいだ時のおいしい感じにちかい。そして、できたてのホヤホヤの新鮮なマッコリは、ソウルで飲む時よりも、酸味をすこし強く感じた。この酸味が、福順都家のおいしいツボだ。シャンパンのような優しい泡たちの冷たさが喉を通るたび、ふたりとも無言で「おいしい!!!」と目と目で会話をして、おおきくうなづきあう。駆けつけの一杯の余韻にしばし浸っていると、空になったおちょこに、すぐさま二杯目が注がれた。びっくりして体を半転させると、そこにはオーナーご夫妻の息子さんが立っていた。

もともとは建築家で、工房の設計も担当した息子さん。いろいろおしゃべりしていると、マッコリの蔵をひとつ見せてくださるということに。あわてて二杯目のマッコリを流し込んで立ち上がり、蔵のある棟へむかう。油断をすると興奮でおしゃべりが止まらなくなるわたしたちは、なんとか心を落ち着けようとお互いの肩を触ったりする。一呼吸して、神聖な蔵に静かにゆっくりと足を踏み入れると、目の前に待っていたのは大きな大きな黒い陶器の甕だった。

「音を聞いてみてください。」

息子さんが、甕の上にかけられた布をそっとめくってくれる。

「プツプツプツプツ。プツプツプツプツ。」

マッコリの生きている音。

「プツプツプツプツ。」

福順都家ソンマッコリの「ソン」は「手」という意味だ。このマッコリのパッケージには「手で直接醸した純粋な生マッコリ」という言葉が書かれている。大事に大事に育まれているマッコリの音を、今わたしたちは聴いている。

「プツプツプツプツ。プツプツプツプツ。」

うっとりとマッコリの音に耳を傾けていたら、出発予定の時刻をすっかりオーバーしていた。
ちょっと年のいったシンデレラ二人がお土産のマッコリを買おうと、慌ててショップの方にむかうと、さきほどの運転手さんがマッコリの袋を片手にトランクを開けている姿が見えた。

丁寧に案内をしてくださった息子さんにお礼を言って、急いでタクシーに乗り込む。「美味しそうで気になっちゃったから、自分用にも1本買ったよ。」運転手さんがニコニコ話してくれる。わたしたちは通りすがりの旅人だけれど、このあとも運転手さんと福順都家のご縁は、蔚山で続いていくかもしれない。奇跡なんて大げさなものじゃない。でも、愛おしくてあったかい一瞬だ。

そうこうしているうちにも、タイムリミットはどんどん迫っていた。申し訳ない気持ちで運転手さんに飛行機の時間を伝えると、「間に合わせるよ、大丈夫。」と言ってぐっとアクセルを踏んでくれた。

そういえば、さっき寄ってみたかった市場があったんだったよね。
今日は時間がなくなっちゃったけど、また来よう!
あぁ、写真撮りたかったなぁ。

ほろ酔いでおしゃべりが止まらない後部座席。
(うるさくてごめんなさい)

釜山へ急ぐタクシーのトランクの中では、キヨコの買った3本、コイケの買った3本、そして運転手さんの買った1本、合計7本のマッコリが、「プツプツプツプツ」と小さく音をたてていた。


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