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菜食に移行して行く過程で、ぶつかること

知識はついていっても、
実際、毎日の食事に取り入れるのはハードルが高く。
実家暮らしで、母が作ってくれる食事はもちろんお肉もお魚も、卵も。

お肉食べたくない。から始まって、
お魚も食べたくない。も追加。
卵だらけのお皿に、卵も、、、
しかも玄米食べたい。と言い出すし、
お味噌汁の鰹出汁が、と何を食卓にだしても嫌だと言われたら、

さすがの母も、
「もう自分でやって」と、、、
もっと配慮してきちんと話せばよかったけど、
その頃は親子関係も、煩雑でした。

ここから、私の食事を理解してくれるまで10年かかります。
長かった。

お肉食べないから、体調が悪くなるんだ。と何度言われたことか。
だから、具合が悪くなれない。という意地も張りました。
身近な人ほど理解してもらえない。

だけど、あえて向き合わない。
戦わない、という選択をしています。
だって、自分だってまだわからないのだもの。


          * * *


会社勤めをしていると、お付き合いで食事に行くこともあります。
お魚はその時だけ、いただくことにしていました。

そうそう、いつの間にか、
机の引き出しの2段目は、乾物や穀物コーヒーなど食材でいっぱいに。
お昼になると、マグカップに切干大根、わかめ、お味噌を入れて即席お味噌汁。
なかなか思うように食事できなくても、お味噌汁だけは。

調子が悪い時は、梅しょう番茶。
甘いものが食べたい時は、ドライフルーツ。

もらったおやつは、あとでいただきますって家に持って帰ったり。
完璧にはできなくても、なるべく。なるべく。
そうやっているうちに、周りが興味を持ってくれて。
知らない方に、話しかけられることもあったり。
こっそり相談されたり、
気がつくと、私用に野菜だけ用意してくれた、なんてことも。

週に数回、医務室にお医者様がいらして。
お仕事の関係上、良くお話させてもらっていました。
菜食の仕事をしたいのでと、会社を辞める時。
とても応援してくださって。これからの時代は予防医学だよって。
久司先生の本をお渡ししたな。

社長に退職の挨拶をしにいった時も、
ご縁のあるマクロビオティックの先生を紹介してくださったのは、
本当にびっくりした。
体調を崩された時、食事で回復させたのだそう。
素晴らしく恵まれた環境だったなと、思い返しています。

3年ほど派遣で務めた、その会社が最後のOL。
高校卒業してから、一番長くて8年。
パート、アルバイト、派遣で行った先は、数知れず。
職務経歴書を書くのが一番嫌いです。多すぎて。

間抜けてたりもあるけど、18年のOL生活を終わらせ。

無謀にもお料理を作る仕事がしたいと、
しかも、マクロビオティック、ベジタリアン、ビーガンの食事。
あてもないのにあっさり会社を辞めたのは、2008年秋のこと。

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